捕囚の民へ真の預言を

チア・シード

エレミヤ29:1-9   


29章のほぼ全体にわたって、エレミヤの手紙が載せられています。エレミヤは、まだエルサレムにいます。そこからバビロンへ送った手紙です。バビロニア帝国のネブカドネツァル王は、エルサレム神殿を破壊し、小国ながら交通の要地にあるイスラエル人たちの国を無力化しようとしました。有力者たちをその地から抜き去り、農民などが残ります。
 
土地は荒れずに済みましたが、エジプトと同盟を結ぼうとするような政治活動を始められるようなメンバーは、バビロンへ捕囚民として連行したのです。「長老たち、祭司たち、預言者たち」が例示されていますが、わざわざ「生き残っている」と形容するほど、残虐な仕打ちだったのでしょうか。連れ去られたのは高官ばかりではありません。
 
「職人と鍛冶屋」は武器を調達する可能性があったのでしょう。すると農器具も貧相になるでしょう。エレミヤはそこから、バビロンにいる人々へ、安心してその血で日常生活を送るように、と勧めています。その「町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」とも。権力にはやたらと逆らわないがよい。反抗したとて軍は痛くも痒くもないのです。
 
反逆を提言するような「預言者や占い師たちにだまされてはならない」とエレミヤは戒めます。それは「偽りの預言だ」と断定します。エレミヤもエレミヤです。自分の預言こそ真実だと構えているのです。続いて、「七十年の時が満ちたら」(29:10)またここに帰ってくるのだ、とエレミヤは主の名によって預言しています。これは本当だと言いながら。
 
一見、権力に屈したような態度に見えるかもしれませんが、民を守る神を代弁する預言者としては、エレミヤの姿勢は適切であったと言えるのではないでしょうか。今日は最初の部分で切りましたが、手紙の後半も味わい深いものです。そこではさらに、偽の預言を攻撃します。エレミヤは生涯、神の名を騙り世を惑わす勢力と闘い続けていたのです。


Takapan
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