エレミヤからの手紙

チア・シード

エレミヤ29:1-7   


エレミヤは当初、エルサレムを離れずにいることができました。敵に支配されることが目前でありながらアナトトの土地をわざわざ購入し、いずれまたこの土地がユダヤ人の地となることを預言したのでした。エレミヤに与えられた将来の構図は、ずっと揺らぐことはありませんでした。先にバビロンに捕らえ移された人々に手紙を送っています。
 
移された人々は、エリート層であったものと思われます。エレミヤは、そこで落ち着いた生活を送ればよい、と告げました。主からエレミヤが預かったメッセージです。国粋主義者は、自らの手で事態を打破し、力による変革を図ろうとするかもしれません。けれども、そんなことをする必要はない、楯突くことはせず、静かにしていればよいのです。
 
70年という時を経て、安全にユダヤの地に帰ることができるのだ、とエレミヤはその根拠を言います。この自信は羨ましいほどです。主から直々にその情報をもらっている強みです。傍から見れば根拠のない自信ですが、エレミヤは決して引き下がりません。何の心配も要らないから、日常の生活を淡々と続けていけばよい、とします。
 
それだけなら、まだ他の誰かにも言えたかもしれませんが、エレミヤはひと味違います。その町の平安を祈れ、と言うのです。イエスも、弟子たちをイスラエルの町々に派遣するとき、似たようなことを命じていました。行く町々で平安を祈れ。それよりもっとエレミヤの言葉の方が、自己利益を求めているように見えないこともありません。
 
でも、それでもよいでしょう。神のもたらす平和があるというのは、どのようであったとしても、ありがたいことです。町の平安、それは町の平和です。町の平和は、住む者の心の平安となります。町に混乱がないということは、そこにいる人の心の内にも混乱がない、ということになります。神との間の平和が保たれるのは、望むべきことだと言えます。
 
人が生きるために、そのような平和を祈ることは大切なことです。エレミヤは、人々に対してアドバイスします。増えよ、減ってはならない、と。創世記でも、神は人に、増えよと命じたではありませんか。いったい、人間が神なしで生きられると豪語した末の、この少子化とは何なのでしょう。他方、無造作に増える地域とは、何なのでしょう。


Takapan
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