エレミヤにある新約の預言

チア・シード

エレミヤ23:1-8   


エレミヤ書の構成は、時間的に整えられていません。ユダへの預言として掲げられた箇所を、いまさしあたり単独で味わうこととします。イスラエルは、主の羊の群れであるといいます。ユダの王の中には、主に従う者もいましたが、主に背を向ける者が数多くいました。そしてイスラエルの民を主の方向へと向き直らせることも長らくありませんでした。
 
ついにバビロニア帝国に、エルサレムの神殿が破壊されるに至ります。イスラエルの民に対して、悪しき牧者がトップに立ち続けました。しかし、主なる神は良い羊飼いです。イエスが後にヨハネ伝の中で語る言葉は、一つにはここを端緒としているのでしょう。群から外れていた羊ですらも、各地から集めるようにするといいます。
 
自分の居場所へ帰らせて、そこで面倒をみるのだそうで、もう恐れもなくおののきもないという国に、民を導くのです。エレミヤが聞いたのは、そういう主の語りでした。では、どうやって? ちゃんとその道も準備されているということです。主は「ダビデのために正しい若枝を起こす」と、そのことを保証しています。
 
この若枝は「王として治め」ます。神の国において「公正と正義を行う」のです。イエス・キリストによる救いの営みと、神の国の姿が目に浮かんでくるようではありませんか。イエスは旧約聖書の預言を実現した権現であるというのが、キリスト信仰の土台です。旧約の約束の救いがこのイエスによって実現した、という証しの中でそれが成り立ちます。
 
福音書だけを独立させて、キリストのことが分かったような顔をしていることはできません。エレミヤが見た幻は、イエスを通じてこそ具体的になったのです。イスラエルの平安についてエレミヤは預言しました。私たちは平安でしょうか。私たちは、イエスについて「主は我々の義」と声高に叫ぶことが、できているのでしょうか。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります