悪評の王は宗教的な理由による

チア・シード

列王記下21:19-26   


イスラエルとユダと2つに分かれ後の王国の記録が、こうして残っています。政治的な動きも記されていますが、すべては宗教的な観点から評価されています。北イスラエルがアッシリアから攻撃され、南のユダもその影響を受けました。時の王ヒゼキヤも窮地に立たされるが、預言者イザヤの助けもあり、在世中の滅亡は免れました。
 
ヒゼキヤは主に仕えたのです。しかもその子マナセが継いだ55年間、ユダ王国は信仰的には酷い時代だったと評されています。そしてその子アモンが、2年間だけ王位に就きました。そのアモンについて、今読みます。父マナセの悪いところをアモンは受け継ぎます。「主の目に悪とされることを行った」のです。偶像に仕え、主を捨てたのです。
 
「主の道を歩まなかった」ことは、悪そのものとされました。列王記記者の関心は、そこにしか向かいません。マナセの場合は、その異教の祭壇や卜占など、細かな描写を施しているのに、たった2年間のアモンの治世では、そうした記述の暇すらない模様です。「アモンの家臣たちは謀反を起こし、宮殿で王を殺害した」とだけ書かれています。
 
アモンの存在意義は、それだけであったかのようです。政治的謀略であったはずなのですが、事は信仰に基づく結果であるように読み取れます。「しかし、国の民はアモン王に謀反を起こした者をすべて打ち殺した」ということには意味があります。神は、その愛したダビデ王の故に、王の血筋を絶やさないことを誓っていたからです。
 
北イスラエルでは、しばしば、打ち倒した別の家系の者が王位を継ぎます。だが南ユダは、ダビデの系統が守られ続けました。「国の民はその子ヨシヤを代わりに王とした」のですが、後に全イスラエルの信仰にとり決定的な役割を果たします。父の罪が子の罪にならない例です。アモンは、先祖と共に名誉ある葬られ方をしなかったことも記されています。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります