行動預言から学べ

チア・シード

エレミヤ19:10-15   


実際の行動で以て、神の言いたいことはこういうことだ、と伝える預言の方法があります。行動預言と呼ばれることがあります。エレミヤは、ユーフラテス川の岩に帯を隠すということもしました。軛を自分の首に掛けることもありました。ここでは、陶工の手による器が目の前に置かれます。せっかくこしらえた瓶でしたが、容赦なく砕きます。
 
言葉だけでは伝わらないとき、こうして具体的に見せたり体験させたりすることが有効だと考えられたようです。小学生への授業は、基本的にこれが必要です。目の前で具体的に実物を見せ、また実演することが、理解への道をつくります。預言者の時代も、恐らくそうでありました。口で説明すれば分かる、というものではないのです。
 
抽象能力と十分な経験が備わっていないと、言葉のみで真意を伝えることが難しい場合があります。さあ、陶工の瓶を砕け。砕かれた瓶は、再び元の姿を呈することはできません。時間の一方向性などを言いたいのではありません。破壊という行為の一回性が問題なのです。神はエルサレムの破壊を認め、元通りにはならない現実を伝えたのです。
 
かつてアンモン人の神モレクのために、自分の息子娘を焼いて捧げたと記録されているのが、ベン・ヒノムの谷、あるいはトフェトの地。それが、改めて自分たちの都の、引いては自身の、葬られる場所となるだろう、と言うのです。汚れた場所がこうしてイスラエルの中心となります。もはや栄華のエルサレム神殿は崩壊してゴミのようになるのです。
 
主が、これを為します。エレミヤがこのように、人に伝えるための行動預言を行ったのは、まさにそのベン・ヒノムの谷でした。語り終えると、エレミヤはエルサレム神殿に戻ります。どんな気持ちだったでしょうか。今度は崩壊する正にそのエルサレム神殿において、人々に叫びます。トフェトで直に示した瓶の例から学べ、と叫びます。
 
災いが来る。それは主がもたらすものである。主の言葉を聞き、従わなかったから、そうなる。厳しい審きの言葉です。人間が、安易に永遠をつくり出そうとしても無駄なのです。それに異を唱え、そんな人間が蔑ろにした神の言葉にこそ、世界を動かす主導権があることを語り示そうとします。キリスト者は今、どちらの立場にいるでしょうか。


Takapan
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