預言者は呪われつつ語る

チア・シード

エレミヤ15:10-14   


預言者は故郷では敬われない。イエスは、ナザレでの出来事についてそのように言いました。エレミヤの場合は、ユダヤ全部がエレミヤに敵対したために、預言者は完全に孤独でした。自分が生まれたこと自体が災いだというのは、恐らくフィクションのヨブにもあったことですが、エレミヤは実在の預言者です。本当に呪われているとしか思えません。
 
「国中で私は争いの男/いさかいの男とされている」というほどに、自分のことを突き放して捉えていますが、普通はそうは見つめないのではないでしょうか。自らの苦難をすべて背負うことなく、一つの地図の中に置くような見方をしています。主からの言葉がエレミヤにあったからです。「私は必ずあなたを解き放って、幸せにする」と主が言います。
 
むしろ、敵が主に祈って助けてくれるように計らってくれ、と頼んでさえいるような立場になるくらいに、主に信頼を置いています。同じ「あなた」と呼びながらこの後の「あなた」は、エレミヤのことではありません。エレミヤから、ユダヤの人々に向けて呼びかけている「あなた」であると読んでみることにします。
 
ややこしいことに、その次に「主よ、あなたは」(15)と呼びかけています。明らかにエレミヤが主を「あなた」と呼んでいるのです。主がエレミヤに対して「必ずあなたを解き放って、幸せにする」というのですから、カメラワークが盛んに移動して場面を映し出しています。「北からの鉄や青銅」と、他の文明力をもつ敵の脅威をエレミヤはよく言います。
 
エルサレムは征服される。圧倒的な敵の力の前に粉砕される。そう預言せざるを得ませんでした。「国中であなたが犯した罪のためだ」との指摘が重い。それでこそ預言者です。主になりかわり、イスラエルを断罪します。主が告げたことをそのまま、背信の民とその指導者にぶつけるのです。その民に呪われながら、エレミヤは今日も語っています。


Takapan
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