ヨブが理不尽に痛めつけられる理由

チア・シード

ヨブ40:1-5   


世界の事象をくどぐとと告げて、ついに主は、ヨブに向けて核心を伝えます。その冒頭の言葉を今日聞くことにします。真っ先に告げられたこととしての価値を、それらの言葉は有っていますおまえは神を責める、非難する。おまえの知恵が世界を創造し、生物を養ってきたのか。そんなふうに突きつけられて、挙げ句神を責める者よと迫られます。
 
ヨブはこれにようやく再び口を開く機会を得ました。ずっと三人の友人に反論してきたヨブは、痒みと絶望の中にありました。が、幾度も発言をしたものの、32章に突然現れた謎の若者エリフに発言権を奪われてからは沈黙を強いられ、38章に主が嵐の中からヨブに問い始めて、それがまくしたてるように続きました。その末ようやく、機会を得ました。
 
久しぶりのヨブの声は、こうした圧力に潰されかかっていたかもしれません。財産を失い、子どもたちを殺されて、さらに自ら体を蝕まれるという残酷な仕打ちに遭ったヨブが、散々痛めつけられた末に、口を開くのです。私は取るに足らない者にすぎぬ。言い返すことなどできようはずがありません。この口を塞ぎます。もう文句は言いません、と。
 
するとこの後主は、先ほどと同様、勇者たれと言ったと思ったら、ベヘモットやレビヤタンを自慢するかのように持ち出して、ヨブにまたのしかかってくるではありませんか。ヨブの反論はもうしませんと告白した後に、主は追い打ちをかける。どうにも信じられないような酷い有様であり、まるでいじめのようにすら見えます。
 
だが、私たちは呼ぶほど追い詰められていないにも拘わらず、神を責めるかのような発言をしていないでしょうか。ちょっとばかり自分の享楽を削られただけで、神が悪いとぼやいていないでしょうか。ヨブ記の読者が、如何に理不尽な言動を繰り返しているかを、ヨブを犠牲にするかのような形で、描いて見せつけているのではありますまいか。


Takapan
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