気の毒なヨブと謎のエリフ
チア・シード
ヨブ36:15-33
「ヨブの言葉は完結した」(31:40)ことで、三人の友だちの答えも終わりました。「そこで、エリフの怒りが燃え上がった」(32:2)と、突如エリフなる若者が登場します。どこにいたのか、どうしてそこにいるのか、ヨブ記は答えてくれません。そして一方的にヨブを批判した後、「嵐の中から」(32:2)答えた主の前に姿を消すのです。
この6章は何だったのでしょう。ここは後の解説的挿入だとでも考えればよいのでしょうか。エリフは、恰も主になり代わってヨブを戒めるかのように、神と人との関係を語ります。神の裁きの一歩手前までを担うかのようです。今日はその一部を聞きます。「苦しみを逃れようとする/あなたの叫び」が不義へ向かうようなことがないように。
この忠告は、あれだけの災難を味わったヨブには酷でしょう。それも、神の気紛れからヨブの身にのしかかった、不条理な運命ではなかったでしょうか。ヨブは怒っていました。自らの不幸もさることながら、己れの悪を覚らぬ故の出来事だと責め続ける友人たちの無理解に対して、憤っていました。だが、それは間違っている、とエリフは断じます。
「誰が神にその道を指し示すのか」と、神の定めの力に屈服することのみを是とするかのようです。そうして「思い起こせ/あなたが神の業をたたえたことを」というのは、一つのターニングポイントになり得ると思います。ヨブが主を称え、幸福感に包まれていたかつての様子を思い出し、その真実に気づき直すことは、きっと何か役立つことでしょう。
「神は偉大で、私たちには知りえない」からには、神の声を私たちはただ聞くしかないのです。これは、嵐の中からヨブに答えた主の、実に回りくどい説教と筋を等しくします。神の場合は、自らの創造の業が如何に人間レベルを超えたものなのかを突きつけました。エリフもまた、様々な事象を並べて挙げ、帰納的に神の偉大さを伝えようとしています。
ヨブも、以前にはそれが分かっていたはずでした。しかし身の上に起こった不幸が、いつしか自身の義しさへのこだわりへと突き進んでいたようです。実際ヨブは実に気の毒です。しかしそのヨブでさえ、自分で自分を義とすることはできませんでした。「神は、心に自ら知恵あると思う者を/顧みることはない」(37:24)のです。