平和があるように
チア・シード
ヨハネ20:19-29
「週の初めの火の夕方」は、復活の「その日」のことです。復活のイエスの現れについては、どれほどの証言があったのか分かりません。でも、思いのほか多くはありません。ヨハネ伝は、使徒たちを中心とする弟子たちの許へ現れたイエスについて、詳しくレポートしています。男の弟子たちは、このときまでまだイエスに会ってはいませんでした。
皆、隠れていました。表立って出て行くことができない情況でした。憎まれ、ヒステリックに群衆から死刑にせよと叫ばれ続けたイエスの仲間です。狙われたのはイエス一人であったかもしれませんが、いつ刃が弟子たちへ向けられるか分かりません。ストーカーに狙われる者の恐怖は只ならぬものがあることでしょう。戸に鍵を掛け、縮こまっていました。
「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち」ました。主は堂々と真ん中に立ちます。信じる者たちの中央にいて、誰からも等しい距離で接します。私たちの真ん中にも、そのイエスがいます。イエスはここで第一声として、「あなたがたに平和があるように」と言いました。ギリシア語では2語で、「平和、汝らに」とだけ言うことになります。
ヘブライ語なら、シャロームというところでしょうか。それなら単なる「こんにちは」に匹敵します。手と脇腹を弟子たちは見せられて、「主を見て喜んだ」のでした。イエスは連続して、「あなたがたに平和があるように」と繰り返します。そして使わすことを告げると、「息を吹きかけて」言いました。「聖霊を受けなさい」と。
「息」という語は、同時に「風」、そして「霊」を表すことができます。ルカはルカ伝に続いて使徒言行録を記したと言われていますが、そこで大々的に聖霊降臨を、復活から50日目に描きました。それに対してヨハネ伝では、弟子たちの前に現れたイエスが、直ちに弟子たちに聖霊が送られました。罪を赦すことについても、ここで言及しています。
さて、そこに居合わせなかったトマスは、そんなことは信じられない、とふてくされます。一週間、トマスはそうしていたようです。イエスは再び、今度はトマスもいるその真ん中に現れました。そして「あなたがたに平和があるように」と言います。たとえ見なくても「信じる者になりなさい」というのは、平和があるためのチェックポイントであるのです。