イエスが去った後のこと

チア・シード

ヨハネ14:25-31   


イエスは、弟子たちと伝道の旅をしている間に、いろいろなことを伝えています。人々に対してはもちろんですが、人々に解せぬことを弟子たちにのみ説き聞かせることがありました。イエスは弟子たちに、できる限りのことを語っておいたつもりです。けれども、弟子たちの方で、その意味が分かってきたか、信じていたかどうかは不明です。
 
イエスも、話した内容が十分伝わったかどうかについては、信頼していないものと思われます。そこで、いまから十字架刑で死ぬことを覚った上では、自分が教えたことを徹底的に弟子たちを通して遂行するためには、次の段階が必要になることが分かっていました。「弁護者」即ち「聖霊」が教えることになる、というのです。
 
しかし、その聖霊のはたらきについては、いまはこれ以上話そうとしません。「私の平和を与える」というイエスの言葉を、私たちは信仰で受け止めたいものです。「心を騒がせるな。おびえるな」との励ましを以て、イエスがこれから去ること、そしてまた戻ってくることを言い渡します。聖霊の訪れることは、この戻って来ることとは異なります。
 
イエスが世の終わりに再び来ることを指しているのでしょう。「事が起こったときに、あなたがたが信じるように」、いまこうして話しているといいます。十字架の死のことを言っているのでしょう。でもそれはイエスが世に敗れたことを意味しはしません。「世の支配者」は、イエスを「どうすることもできない」からです。
 
このイエスの遺言はいまここにも届いています。イエスは父が命じた通りに行動します。父を愛していることを「世が知るため」です。三位一体の教義を説明するものではありませんが、父と子と聖霊がひとつにつながって示されています。「立て。さあ、ここから出かけよう」は、不自然な命令です。でも私たちはこれを聞いて、立ち上がるのです。


Takapan
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