今へ続く新しい掟

チア・シード

ヨハネ13:34-35    


イエスは間もなく、この世を去ろうとしています。そのことを弟子たちに伝えるべく、イエスがどのように言い残すのか、私たちは見守ります。その中に、まるで割り込むかのように、この2節が現れ、新しい掟が提示されます。確かに、話の流れからしても唐突感は否めません。ヨハネ文書には、後の編集者が付加したと思しき部分が少なからずあるようです。
 
何故そこが挿入と思われるのか、どうして挿入する必要があったのか、考えるとまたひとつの研究となっていくことでしょうが、読者は、違和感を覚えつつも、あまり拘泥しないで味わってみることをお勧めします。但し、ヨハネ伝とヨハネ書との間など、何かつながる言い方があれば参照して考えてみるのは、解釈の助けになるかもしれません。
 
ここでは、新しい命令、即ち互いに愛し合うようにという教えが告げられます。旧い律法が念頭に置かれています。契約概念についても検討する価値があると思われますが、それよりも、教会共同体の中でどうしてもイエスの命令として原理を掲げなくてはならなかったという点を鑑みてみたいと思います。イエスの口を通して、教会への指示を出したかったのです。
 
互いに愛し合いなさい。ここに「あなたがたは」と主語が明示されています。ギリシア語ではこれは強調していることを伝えます。教会のメンバーたる者は、と強く命じているのです。ヨハネの共同体には、ひとつの危機があったと見られます。初期の教会はえてしてその後の歴史の中で続かず消え去っています。でもここでは文書として残ることになりました。
 
キリストの教えと初代教会の抱えた問題は、こうして文書が伝えられるという形でいまに残り、その問題もまたいまなお生きているのではないでしょうか。愛し合うことで、キリストの弟子だという証が立つというのなら、今も全く同様で、教会にいながらにして愛し合えていないと教会を去る人がおり、社会の目があるなら、まさにいまの問題となります。
 
むしろ本当はいまだに、ちっとも愛し合えてなどいない、と言ったほうが正直であるのかもしれません。教会は分裂し、対立し、交わらなくなり、非難し合い、争い合い、時に殺し合いもしました。それがキリスト教会の歴史だったとすれば、現代も引きずるこのあり方から目を背けず、現実に目を留めることが必要です。文書をいまに読むという形で。


Takapan
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