1%でもよいし99%でもよい

チア・シード

士師記7:1-7   


私たちを励ますことの多い物語です。主が、リーダーに直接語っています。そもそもこのギデオンという指導者は、まさか自分が、そのような立場で民族を救う役割を果たすようになるなどとは、思いも寄らなかった人です。主を試すようなことまでして、それから逃れようと画策しましたが、無駄でした。主の思うがままに引きずられてきたのです。
 
いま、ギデオンは変わりました。ミデヤン人、アマレク人などが集結して今にも襲ってきそうな情況で、イスラエルは危機を迎えています。読み取ると32000人の兵士が立ち上がり、ギデオンに従おうとしています。よくぞそこまで信用されたものです。それほどに、敵たちの脅威から、イスラエルの存亡がこの戦いにかかっていると思われたのでしょう。
 
ここからが、よく知られた主の介入です。兵が多すぎるから減らせ、というのです。まず「恐れおののくもの」は皆帰れと命じます。3分の2が帰りました。私たちの戦いなるものには、必ずしも集まったすべての人が適任であるとは限らないのです。私たちは、無理な仕事をする必要はないわけですし、適材適所が果たせればよいのです。
 
ギデオンが立てられたのも、きっと素質があったからでしょう。あるいは、主がその力を与えたと言えるかもしれません。残るは一万人。しかし主はさらにふるい落とします。水の飲み方で選り分けるのです。恐れる者なら分かりますが、どうして水の飲み方が戦いに適するかどうかに関係するのでしょうか。いろいろ説明する人もいますけれど。
 
何か理屈をこねて説明したくなる気持ちも分かりますが、主の選びというものに、私たちが思いつくような理屈を当てはめるのは、あまり褒められたものではないと思われます。ここで選ばれたのは300人だけでした。最初に集まった者から比べると、実に1%以下です。この後、この1%の戦力でギデオンたちは勝利します。なんとも励まされる記事です。
 
兵のうち99%は家に帰りました。思い出します。飼っていた百匹の羊のうち、一匹がいなくなったので探しに出かける羊飼いの譬えを。私は主に探してもらった1%の方だ、と受け止めて差し支えないのですが、戦いの場から離れた99%の中にいたとしても、それはそれでよかったのではないか、と思うのです。どちらもイスラエルなのですから。


Takapan
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