忍耐を教える

チア・シード

ヤコブ5:7-11   


初めの挨拶の次にいきなり「私のきょうだいたち」(1:2)と呼びかけました。ヤコブは、何かを告げようとする度に「きょうだいたち」と言い始める口癖があります。この手紙は「きょうだいたち」へのメッセージなのです。ヤコブの手紙は、このベースから理解しなくてはなりません。その「きょうだいたち」は、いま争いの中にあるようです。
 
ヤコブの懸念が伝わってきます。特に身分や富がある故に、優越の立場にある者へは、批判の手を休めません。明日の命がどうなるかも知らない人間を指摘しつつ、「主が来られる時」を見定めて語ります。実りを待つ農夫のように「忍耐しなさい」と言うのです。「心を強く保ちなさい」と迫るのは、「主が来られる時が近づいているから」です。
 
ここは直訳では、ずばり「主の来臨」という表現がとられているそうです。「来臨」とは、ここではイエスが世の終わりに再びこの世界に来ることを意味します。「きょうだいたち」に続く「主が来られる時」もそうです。当時は、教義的用語としては見られていなかったのではないでしょぅか。だとすると、ヤコブの先見性とでも言うべきかもしれません。

ここで改めて「きょうだいたち」と呼びかけて、不平を言うなと戒めています。それは、裁きに遭わないためであるのです。「裁く方が戸口に立っておられます」というフレーズが眩しく見えます。私たちは、恐れ慄きます。この感覚が、ヤコブによって植え付けられてしまいました。そしてまた、「きょうだいたち」と畳みかけるように呼びかけます。
 
預言者たちの苦難と忍耐を模範とするように促すためです。そこにヨブを連れてきます。ヨブはまるで預言者の一人です。ヨブの忍耐は、確かに秀逸です。主はその結末に幸福を与えたことにも触れます。裁く方、裁き主であることがこんなに恐れられているのに、「主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です」とのフォローが、ヤコブの真意を示しています。


Takapan
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