あなたの光が闇の中に来る

チア・シード

イザヤ60:1-3   


「あなたの光が来て/主の栄光があなたの上に昇ったのだから」「起きよ、光を放て」とイザヤは言います。誰に向けて言っているのでしょうか。「あなたのことを/主の都、イスラエルの聖なる方のシオンと呼ぶ」(60:14)と明かされています。しかも、これを「あなたを苦しめた者たちの子孫」や「あなたを侮った者たち」が言う(14)のだそうです。
 
しかも「あなたの足元にひれ伏し」(14)てです。イスラエルの都のことが語られています。イザヤは、エルサレムの回復の姿を光の中に見ています。そしてその光は「来る」と言っています。「主の栄光」が光の源であるようです。一方、地を覆っているのは闇です。国々の民を包んでいるのは密雲。しかし「あなたの上には主が輝き出で」ています。
 
よって、光の源が主であることは明らかです。主の輝きは、主の栄光となります。その光へ、国々が進んでくるといいますが、それはどういうことなのでしょうか。凡ゆる国々とその王、恐らくはその民のすべてが、あなた、すなわちエルサレムの神殿へ主を探しに来るのです。イザヤが元来見ていたエルサレムは、どんな輝きを呈していたのでしょう。
 
それは分かりませんが、いまや破壊され、滅ぼされてしまいました。いまイザヤを名のっている預言者は、その破壊されたエルサレムしか知らないはずです。でも、幻は見えます。輝く栄光の神の都エルサレムに、これを破壊した者たちの子孫が、イスラエルを侮辱した者立ちが、集うのです。果たして捕囚から戻ったイスラエルの民にありうるでしょうか。
 
こんなことが起こるとあっさりと言ってしまうのは、飛躍がありそうです。羊飼いたちと博士たちは、ベツレヘムに集まってきました。暗黙のうちにか、天使があからさまに呼んだかは様々ですが、明るい星を見、輝きの中で歌う天使を見ました。けれども、イエスの誕生の光は、まだそれくらいのものではありませんでした。
 
但し、地を覆っていた闇の中に民が光を見たのは、キリストの訪れの出来事の描写の内の、まだ一つの部分に過ぎませんでした。主の光に包まれる神の都エルサレムは、再び主が世に来る、これから先のことです。今の私たちも、それについては知りません。「あなたの光が来」ることだけを知っています。私たちの光が、いまに来ることだけ、知っています。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります