キュロスはメシアなのか

チア・シード

イザヤ45:1-7   


ペルシア王キュロスは、紀元前559年から530年まで王位にありました。これをイザヤは高く評価します。もちろん主なる神がすべてを握り支配しているのですが、イスラエル民族にとりこのキュロスは、神の経綸の中でとてつもなく大きな役割を果たした人物とされました。バビロン捕囚の期にユダヤ教の信仰が基礎づけられたとすれば、キュロスが英雄視されたのも無理はありません。
 
キュロスはキュロスで、バビロニア帝国が支配していた地域への圧政を解除することが、ペルシア帝国にとり得策と考えたからそうしたのであって、イスラエルのことを思いやっての解放劇などではありません。辺境のイスラエルにそんな重きを置くわけがないので、自由にさせたということでしょう。
 
しかしこのキュロスは、1979年にイラン革命が起こるまでは、イランの建国者として尊敬を集めてひとかどの者として扱われていたといいますから、歴史的にも大人物であったと言えるでしょう。イスラエルの預言者は神である主の言葉として、このキュロスを「油注がれた者」と呼び、極めて例外的に見ています。主の力を帯びた偉大な解放者である故に、いわばメシアとまで呼んでいることになります。
 
もちろん、全人類の救い主キリストこそメシアであるというのがいまの私たちの捉え方ではありますが、ギリシア語に直すならば、キュロスをイザヤはキリストと呼んでいることになります。イスラエルの王ではないけれども、神はこのキュロスに名を与えました。称号という訳が適切です。これを神の御名だと無理に読み込み教義化した教団もありましたが、こうした勘違いはえてして暴走を招きます。
 
あくまでも権威者は神である主です。世界中は知るようになるでしょう。他に神はいないのだ、と。ただ主のみが王でありますから、安心してキュロスを称えるのです。称号とは、まさに称える号なのです。どんなに人間をほめたところで、神のほうが上です。超然とした神が君臨します。
 
しかも、光を創造する神は、闇をも創造すると言います。平和をもたらす神は、災いを創造する神でもあります。イザヤのこうした対照的な宣言に、私たちは改めて注目したいところです。人の願望を理想として掲げ、神をそれに当てはめようとしがちな私たち。私たちの判断の中に神を閉じこめ操ることを真理と呼びたい私たち。キュロスを称える声をとやかく言う立場ではありません。


Takapan
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