預言者は回復を描く

チア・シード

ホセア14:2-8   


預言者自身が主から試されるかのようにして、姦淫の女を受け容れるよう努めてきたホセアでした。それは預言書の前半であり、後半に入ると、ひたすらイスラエルの国の有様ばかりへ叙述が集中します。前半はとてもユニークでしたが、後半は他の預言書と特にあまり変わらなくなってしまいました。南ユダ王国のことも、確かにホセアは口にします。
 
しかし、眼差しの多くは北イスラエル王国へ向けられています。その中心は「エフライム」と呼ばれます。「関東」みたいなものです。ユダから見れば、そこは偶像を拝む地域です。エルサレム神殿を手放して北に活路を見出した北イスラエル王国は、像を納めた神殿を建てて、民の心を繋ぎとめようとしたものと思われます。
 
こうした書き方は、南側の非難の故なのかもしれません。南だって、王によってはバアルやアシェラの像が信仰の対象にすらなることが続いたのであって、偶像が皆無な状態はむしろ少なかったように見えます。裁きの預言は、実に酷いもので、しかも単なるレトリックではなく、現実の描写なのです。そうしているうちにホセアの預言は結末へ向かいます。
 
「イスラエルよ、立ち帰れ」がその号令となります。どこへか。「あなたの神、主のもとへ」です。「あなたの神」へ、です。ただの神なのではありません。神はずっと、いまもここからも、「あなたの神」なのでした。だから誰も、「言葉を、用意」するがいい。自分の罪を知っているか。罪の赦しを主に願うがいい。
 
イスラエルはその国を救うために、アッシリアの援助を求めようとしています。それは、アッシリアの偶像を受け容れるということでもありますし、アッシリア帝国そのものを偶像とすることでもあります。預言者は、主の視点から与えられた言葉を連ねます。「背いた彼らを癒やし/喜んで愛する」と。もう怒りはそこへは向けない、というのです。
 
「私はイスラエルにとって露のようになる」とは美しい表現です。それは、植物を覆うものであり、命を支えるものです。人々は帰ってきます。杉やオリーブの木がその陰に安らぎをもたらすように、再びこの地で芽吹き、育まれることでしょう。エフライムは、元来穀倉として豊かな穀物の実りをもたらす地であったはずだからです。


Takapan
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