弱り果ててしまわないように
チア・シード
ヘブライ12:1-3
「気力を失い、弱り果ててしまわないように」キリストの忍耐を「よく考えなさい」というのが、ここでの奨励です。これが実態であったのではないでしょうか。意気消沈する時代でした。教会というものが成立して、どれほどの時間が断ったのか知りませんが、私たちが、太平洋戦争を思い浮かべ戦後の復興の勢いを考えるのと同じくらいの時間差です。
キリストがその時代に救いをもたらす事件がありました。その再臨が伝えられました。しかし、キリストを直接知るような人は、たぶんいません。キリストはいつ来るのか、保証もありません。これについては、正に信仰の問題だと言えます。弱り果てた信仰と指摘することが、ぴったりくるような情況だったのではないかと思われます。
そのために、と言ってよいでしょうが、前章で、信仰者の列伝を掲げました。「信仰とは」(11:1)と始めて信じることの意義を伝えるために、旧約聖書の信仰者を拾い出し、例示しました。伝える対象のヘブライ人たちなら当然知っており、信じている物語の人々です。そこに、人々は自分のアイデンティティを見るのが当たり前だったことでしょう。
そういう人に向けての文書がこの手紙だと考えられています。かの信仰者たちが神の出来事の証人として、私たちの周りを取り巻いています。先人の信仰がいまここで私たちを助けてくれる、というのも奇妙ですが、大いに励まされて然るべきでしょう。それでも、人間にはどうしても罪があり、罪が「絡みつく」という表現もあります。
それはまた「重荷」でもあるでしょう。しかし私には、私のために定められた「競走」があります。人生のコースと言ってもよいでしょう。イエスを見つめながら、走りましょう。イエスは信仰の創始者・導き手です。信仰を完成してくださる方でもあります。十字架を忍んだイエス、そしてその事態を呼んだ私たちの罪。罪との戦いが続きます。