ストレンジャーの居場所
チア・シード
ヘブライ11:13-16
「信仰によって」(11:4etc)と、旧約聖書の登場人物を挙げています。いわゆる「信仰者列伝」の中の小休止であるかの如く、「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」というコメントが置かれています。そこには「天の故郷」が記されています。故郷は地上のものではありません。この世の中は、自分の居場所ではない、と感じる人がいます。v
この世の中は、自分来たところ、拠って立つ場所ではない、と感じる人は今も少なくありません。辛いもう自分の居場所がないと考えています。生まれた土地としての故郷なら、帰ることもできたでしょう。しかし「さらにまさった故郷」があると言います。憧れの故郷です。神が用意した都です。この人たちは、「約束のものを手にしませんでした」と言います。
けれども、約束されたものを確かに見上げてはいました。いまアブラハムまでを辿ってきました。アブラハムには約束がありました。ただ、自分の目でその結果を見ることはありませんでした。その結果は私たち後世の者が知っています。また、私たちも同様に信じているのであり、希望をもっています。天の都を、信仰の霊が見つめています。
「その都を設計し、建設されたのは神です」(10)と、アブラハムが待ち望んでいたものが、神からのものである、と言っています。これに憧れていることが、信仰という営みです。本当の居場所はここにある、と言える処があるわけです。逆に言えば、今いるこの世は、自分のいるべき処ではありません。この世がすべてではないのです。
「自分たちが地上ではよそ者であり、滞在者であることを告白した」人々が、これら信仰者でありました。「よそ者」は、今私たちの間では、「ストレンジャー」という英語の言葉でも想像することができます。日本社会は、仲間意識から、馴染まない者を受け容れず、弾き出すということを当たり前にしていました。
ストレンジャーは、必ずしもそうした馴れ合いに関係するものではなく、論理的に理解できない奇妙な存在として見られている者であるように思われます。この世が標準ならば、神に従う信仰者は、弾かれる奇人です。しかし、神の都こそがベースにあるならば、信仰を抱く者は、喜びの声を挙げていられるでしょう。神の国が自分の居場所であるでしょう。