破壊から希望へ

チア・シード

ハバクク3:8-15   


カルデヤ人の来襲を描いているようで、恐らく、来るべき将来の時を考えているのだろうと思われます。預言者ハバククは謎の預言者です。正体が読めないと言われています。それでも、表現そのものに特別に不思議なところがあるようには見えず、これをどう受け止めるか、私たち読者側の信仰が問われることになりそうです。
 
そのハバククの預言が間もなく閉じられようとする中で、ハバククの祈りでに出会いました。シグヨノトの調べに合わせ、弦楽器を用いることが指定されています。シグノヨトと訳されているものは、複数形ですが意味は判然とせず、もしかすると「挽歌」だろうか、とも言われていますが、情熱的な歌だとか、嘆きだとか言われることもあるようです。
 
ここにあるのはひとつの詩です。詩編にはないけれど、こうした詩による告白もいろいろあったのでしょう。ここには主の報復なるものが記されています。あまりに凄まじく、敵を粉砕する主なる神の力を、ハバククが幻として見ていることは容易に想像がつきます。将来神の裁きがなされる時の有様のひとつなのだろうと私たちは理解できます。
 
描かれたのは、この箇所では川と山です。主よあなたは、と呼びかけ、あなたの力の絶大さをただ称えるのみ。中心テーマは、主が現れること、主が来るということです。油注がれた者を救う目的があると言われます。イスラエルの王メシアのことでしょうか、凡そイスラエルや呼び求められる者すべてへのメッセージであるのだろうと思います。
 
主が来る。来ればその働きは、私たちの創造を遙か超えて、激しいものなのでしょう。筆舌尽くしがたいと思しき有様で、言葉が追いつきません。私たちはこの主の日を待ちます。クリスマスであと何日、というような待ち方ではありません。いつとも知れぬ神の約束を待つのです。もういくつ寝ると、と数えて待つわけではないのです。
 
しかし、それは必ず起こります。そう信じるところに、希望が生まれます。酷い破壊もありますが、きっと希望があります。今のまますべてが安泰でいいな、というような平和のことを言っているのではありません。ハバククの詩は、祈りとして、私たちが今ここから歩き出す勇気を与えてくれます。破壊の後には、希望が生まれるようになるのです。


Takapan
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