虹の契約

チア・シード

創世記9:8-17   


神と人との間に契約が成立したのは、はこれが初めてです。尤も、6:18でこの契約を立てることが予告されていますが、それは箱舟に乗せる時の動機となるべきものであって、契約が結ばれたというほどのものではありませんでした。さていま、契約は誰と契約したのでしょうか。人間一般でしょうか。ノア本人とその子孫のすべてとでしょうか。
 
いえ、共にいるすべての生き物、肉なる生き物との間に立てたのです。このことは、この短い箇所の中に、なんと五度も繰り返される表現となっています。如何に念を押しているか、強調しいるかが分かります。しかも代々とこしえに主が立てるものだといいますから、実にスケールが大きい。神との永遠の契約はいまも有効であるはずです。
 
そこにはノアだけではなく、ノアの息子たちもいます。まるで男たちとの間でだけ、この契約が交わされたのだとしたら残念です。箱舟から出た動物たちに限定するのかどうかも気になります。いったいこの洪水は、世界のどこまで及んだのでしょうか。全世界と聖書が記していても、「すべての人」が「多くの人」程度の意味であるのときっと同じです。
 
もう一つ、虹が契約書のようになっていることに注目しましょう。それは「しるし」だと言います。でも、私たちの感覚では「契約書」でしょう。「虹」とは「弓」の語です。弓は殺傷する道具です。神は雲の中に、この危険な契約書である弓を置いています。雲はこの後、出エジプトのイスラエルを導くものとなり、そこに主がいるとされました。
 
弓はその雲の中に置くといいます。矢をつがえているのでしょうか。矢はどちらを向きますか。この契約を破るとその矢が発されるとするならば、破るのは神ではなく人間なのですから、矢は人間に向かって飛ぶはずです。でも、人に対して矢を引いている向きではありません。弓は空へ向けて飛ぶようになっています。これはどういうことなのでしょうか。
 
契約を破った罰は、神に向けて矢が飛ぶように向いていたのです。痛みを、傷を、神が受けるようになっていました。事実、神はその痛みを受けました。イエスを十字架へと送ることになりました。この虹は空に架かる証しとなりますが、いま私たちはそこに御子イエス・キリストの姿を仰がねばなりません。あらゆる生き物が仰ぐのです。


Takapan
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