王の信仰

チア・シード

創世記41:47-49   


ヨセフが王の夢の意味を解きました。その伏線は、子どものころのエピソードにもあります。それが巡り巡って、エジプトの宰相となってからも発揮させることとなりました。ファラオとはエジプトの王のことですが、王が奇妙な夢を見ました。それが気になり、夢の意味を誰か解く者はいないかと探したところ、ヨセフが見つかったのです。
 
その辺りのドラマの展開は、どうぞ創世記を直にご覧ください。ヨセフが王の前に呼び出され、夢を解きました。王の夢は、エジプトに7年間の豊作があった後、7年間の大飢饉が来るという予告なのでした。このヨセフの説明を、王はすっかり信じてしまいます。王はヨセフに莫大な権力を与え、豊作の時に備蓄する政策を許したのでした。
 
これは、予言が当たらなければ、エジプトの経済が麻痺してしまうほどの大冒険でした。そんな暴挙とも言えることを、全部ヨセフに任せたわけです。と、この聖書箇所から説教が作られると、どうしてもヨセフの夢解きの能力に注目することになります。神は人に未来を知らせることがあり、ヨセフは神により歴史の中で用いられたのです。
 
それからこの後、エジプトにイスラエル民族が増え、その民がだいぶ後に、今度はモーセという指導者が神に立てられると、モーセに従ってエジプトを脱出し、旅を続けると、神が約束したカナンの地に入り、イスラエルという国をつくっていく、そんなことを説教はきっと語るのです。ところが、私はいま、ふと気づかされました。
 
これは、エジプト王のファインプレーではないか、と。先ず、この予言そのものが与えられたのは、そもそも王なのである。夢という形で、もちろん意味は分からないにせよ、王に神が夢を見せたのが発端です。たとえヨセフを登用するための前置きではあるにせよ、確かにこの予言そのものは、夢見るヨセフではなく、王に与えられていたのです。
 
もしかするとでまかせかもしれないヨセフの夢の解釈を聞いて、すぐさま完全な信頼を置いたのは、王でした。この世の権力を握る王が、牢から出された男の説明に、国と人生をすべて賭けたのです。異教の王のこの信仰たるや、半端ありません。キリスト者に果たして、これほどの信仰があるのでしょうか。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります