信仰の父アブラハムの祝福

チア・シード

創世記22:15-19   


ヘブライ書では、独り子イサクを献げようとしたのは、いけにえとして殺してしまっても神は復活させてくださるから、子孫を星の数のように増やすという神の約束は違うことがない、という信仰をアブラハムがもっていた、とされています。その創世記の箇所をいま開きました。もちろん、そこに復活信仰が書いてあるわけではありません。
 
アブラハムとイサクは、モリヤの地へ向かい、主が指定した山へ登ります。神から命令を受けたアブラハムだけが、この後どういうことになるのかを知っています。神から与えられた独り子イサクを、よりによってこの自分の手で斬り殺さなければならないのです。まともな精神状態ではありません。そこに着いてからアブラハムは一言も口を利きません。
 
イサクも口を開きません。二人の心の中は全く見えません。只、アブラハムが刃物を握り、振りかざしたであろうことは確かです。そのとき、正にドラマチックに、天使がアブラハムの名を二度呼び、手を振り下ろすのを止めさせました。使いは、一匹の雄羊をイサクの代わりに与えました。そしてもう一度、アブラハムに呼びかけます。
 
「あなたがこうして、自分の息子、自分の独り子を惜しまなかったので、私はあなたを大いに祝福」する、と。子孫は、かつての約束の通りに大いに増える。主の言葉は成就するのです。そればかりか、「地上のすべての国民はあなたの子孫によって祝福を受けるようになる」とまで言います。祝福は、もはやアブラハムだけに留まりません。
 
「地上のすべての国民」が祝福を受けるようになる、と言うのです。これには驚かされます。何故でしょう。「あなたが私の声に聞き従ったから」です。「あなたがこうして、自分の息子、自分の独り子を惜しまなかった」からです。聞き従うことは、いけにえに勝る。アブラハムよりもずっと後の預言者もまた、このように口にしました。
 
アブラハムの信仰を継承できないイスラエルの王と国民への、きつい命令の中での預言でした。「アブラハムは従者のところへ戻り」ました。細かな表現を以て、この物語がただのセンセーショナルな場面をつくったのではないことを示します。信仰の父アブラハムの出来事は、試練を経て、穏やかに日常を取り戻すのでした。


Takapan
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