敵が敵でなくなる時

チア・シード

創世記22:15-18   


緊張の場面が解消し、落ち着きを取り戻しました。一時はどうなることかと命が危ぶまれた中で、事態は沈静化しました。アブラハムは、主が備えてくださると自分が口にしたことが現実になったのを見ました。驚いたのではないでしょうか。私たちもそういうことがあります。いやあ、本当になっちゃったよ、と舌を出すようなことが。
 
安堵の時、先ほどすんでのところでアブラハムの残虐な行為を止めた主の御使いが、再びアブラハムに語りかけてきます。天から聞こえたと言いますから、果たしてそれが天使なのか、主ご自身なのか、区別がつくものかどうか、不思議に思うことがあります。しかしここでは、「主のお告げである」と前置きがあったから、天使に間違いありません。
 
先の場面で告げたように、「自分の独り子である息子すら惜しまなかった」と繰り返します。これは福音を知る者にとり刺激的な言葉ですが、いまはここは素通りします。これに続いて天使は、アブラハムへの祝福を告げます。子孫を星の数、砂の数ほどに増やすと約束するのです。今はひとりのイサクです。しかもそれを殺そうとまでした上で。
 
子孫を増すこととイサクを献げよということとは、神の計画でどう両立していたのでしょうか。アブラハムは試されたのです。この子孫は栄え、敵の門を勝ち取るという知らせ。すなわち敵を征服し、その町の象徴としての門をサムソンのように奪い取り、その町を支配したことを宣言するわけです。敵を完全に制圧するのです。
 
敵を壊滅させはする。けれども、すべての国民を祝福する。天使の告げたことは、ここでも矛盾しているように聞こえます。でも待てよ。これは、敵がいたのに、その敵が敵でなくなるということを意味するると受け取れないでしょうか。古代、周囲は敵だらけです。コミュニケーションが取れないために、相手を信頼することができないのです。
 
お人好しに信頼などした民は、あっという間に滅ぼされたことでしょう。敵は、バカな奴だと嘲笑したことでしょう。万人が万人に対する狼となり、強者が生き残った世界。情報が行き交わないところでは、不信感しか育たない好例であるかもしれません。ダビデの出世もひとえにこのような不信に基づく策略によるものだったはずです。
 
イスラエルはそうして成立しましたし、繁栄しました。その後二つの王国に分裂してからは、同じ民族で互いに戦いを繰り返していました。これを制圧した大帝国の登場が歴史を変え、ユダヤ人を形成したのでした。しかし再び信頼の国々が現れるなど、誰が信じることができたでしょうか。いや、今もなお、世界は信じられないままとなっています。


Takapan
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