アブラムへの土地の契約

チア・シード

創世記15:7-16   


主の言葉が幻の中でアブラムに臨みます。初めに声をかけられた後、いろいろな体験をしてきた上でのことでした。主は報いを与えると言ったのですが、アブラムは子がいないことを不満に思い訴えます。どうしてそのような自分に報いがあるなどといえるのか。主は高齢の夫婦であろうが生まれるとし、無数の星を見せます。アブラムは主を信頼しました。
 
ここで主は、土地の話をします。子孫の件はアブラムの信により解決しましたが、あと実際の地上の住まいと暮らしが問題となります。アモリ人マムレの樫の木の傍にいたアブラムに約束する主。カルデアのウルからここまで、主はアブラムを導いてきました。この地を継がせるという宣言は、およそ最高の祝福であっただろうと推測されます。
 
アブラムには、子孫という時間的な祝福と、土地という空間的な祝福が与えられることとなりました。信仰の父たるアブラムですが、この主の恵みに対しても、しるしを求めるような疑念を示しています。主はいけにえを二つに切り裂かせ、向かい合わせに置くように指示します。日没後、炉と松明がそこを通りすぎることで契約の締結が成立します。
 
しかし日没前にはもうひとつ出来事がありました。アブラムは深い眠りに襲われたのですが、そこには恐怖と深い闇がありました。この状態のアブラムに、主の呼びかけが聞こえています。主の言葉は、人の闇へも響きます。いえむしろ、人が闇を抱えているからこそ、そこに主の言葉が初めて聞こえるというものなのかもしれません。
 
人の知恵で無理やり恐怖を遠ざけようとする必要はありません。恐怖を克服する道は主が備えます。但しこのアブラムへ伝えられたのは、エジプトという名こそ出さないものの、かなり具体的な出エジプトへ向けて民族が経験した痛みのことでした。アブラムはというイスラエルの祖を描く中でも、なんとか民族のアイデンティティを盛り込まねばなりませんでした。
 
四百年という年月まで用意されていますが、それほどに、エジプトを脱出する体験は、民族にとり大きな意味のある出来事だったと考えられます。主がアブラムと契約を結ぶときの恐怖と闇、それが後のエジプトでの奴隷生活と重なります。土地を与えるという契約は出エジプトの旅につながります。真の土地の授与への道が、信仰と共に始まるのです。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります