アブラムの祝福の不思議と含み
チア・シード
創世記12:1-3
「あなたは祝福の基となる。」その別訳として、「あなたは祝福となれ」があり得ることが、注釈に書かれています。神が人に「なれ」と命じることも、その通りに「なる」ことも、実のところ違いはない、と考えられます。神の言葉は、そのまま事実となるのであるならば、当然です。しかし、神の言葉が実現しないことがあるのも確かです。
それは、人がその実現を妨げている、ということを意味するのかもしれません。神が人に命じているのに、実現しないのは、人の責任だ、という見方です。ところでこのアブラムは、テラの子として生まれたことが系図の中にあるほか、キャラクターとしては紹介されません。どうやら、テラという人物の方が、メインであるらしいように感じられます。
ここにはテラの系図があります。その中にアブラムの名が登場し、その妻サライは不妊であったと記されています。アブラムとその妻サライなどを連れて、テラは旅立ちます。テラはその旅の途中で亡くなります。詰まり、旅立ったのは父テラであって、アブラムではありませんでした。その上で、主はこのアブラムを選んで声をかけているのです。
「あなたが生まれた地を離れよ」と言うのです。しかし離れたのはテラでした。アブラムに適用されるべきは、「父の家を離れよ」ということでした。「親族」も、ロトを含め、その父でありアブラムの兄弟であるハラン、それからナホルの他にいるならそう呼んでよいでしようが、曖昧です。アブラムはその後カナンの地で独立するに至りました。
甥のロトとその一家を引き連れて行動している点も、いまひとつ不思議です。ロトが親族ならば、決して「離れて」いることにはならないような気もします。目標とするところが、主が「示す地に行きなさい」という点にあるのならば、それはそれでよいでしょう。アブラムに子孫が与えられることは、まだ記者は明かしていない段階でした。
だから「大いなる国民と」することは、聞き手にとっても驚きです。ここからアブラムは、「祝福」まみれになります。その祝福はアブラムを祝福する人へも及び、「地上のすべての民族」にまで拡がります。そうなるからには、この神の名がすべての人々へと届けられることをも示唆していると言ってよいでしょう。多くの含みがここにあります。