出会いは突然に

チア・シード

創世記12:1-9   


何の前触れもありません。背景も分かりません。テラがアブラムなどの子をもうけ、アブラムは結婚したサライとの間に子が産まれず、テラがアブラムとサライ、ロトなどを連れてカルデアのウルを出発した、それだけです。その理由も不明です。そこへ主が、アブラムに言ってきます。突然主が現れるのです。声として臨んだということです。
 
すでに一族は、カナンの地に出発していた、との記述についてはこの先で触れます。アブラム個人へ向けて主は、生まれ故郷や父の家を離れて、主が示す地へ行けと命じます。家というのは家系や係累皆を含んでいると思われます。アブラムはちょうど父テラを亡くしたところだったのです。家や仲間、そうした者による保護などから独立して主の道を歩め、と。
 
この主とは誰でしょうか。アブラムは知っていたのでしょうか。どうやって信頼するようになったのでしょうか。しるしも何もなく、主が名のることもありません。殆ど「うまい話」であるだけで、何の根拠もないに等しいものです。アブラムはら大いなる民族が出るといい、祝福の基となって地上のすべての人々がアブラムの祝福を受ける、などと言っても。
 
いとも簡単に、何の脈絡もなく告げられて、そこからカナンの地に向けて出発した、とありますから、先に挙げた「カナン地方に向かった」というテラについての言明は、恐らくこの後のアブラムの行動を踏まえてのものだったのではないかと思われます。財を増し、あっという間にアブラムはカナンの地に入ります。
 
カナン人の間に、何の問題もなく割り入ると、無条件で地が与えられます。モーセやヨシュアが聞いたら、涎が出そうな話です。あれだけ苦労して、悩み抜き、また血を流してやっとのことで約束の地に向かい、侵入を果たしたのは何だったのか、と呆れるのではないでしょうか。さまようことも敵を作ることも戦うこともなく入り、すんなり生活しているのです。
 
アブラムにあったものは、なんだったのでしょう。ただ神の計画の故だ、としか私たちには分かりません。自分に立ち現れた主のために、アブラムは祭壇を築きます。さらに天幕を張り、随所に祭壇を増やします。そして、主の名を呼びます。これで終わりではありません。これからまた旅が続きます。約束の地たる場所を通り越えて、アブラムは突き進みます。
 
このあたり、説明はあまりにも謎だらけです。すべてが、突然の理由無き出会いだとしか言えません。しかし、私たちの人生は、果たしてどうでしょうか。予定して、構えて準備して、そして決定的な出会いを経験する、ということがあるのでしょうか。出会いは突然です。それも、自分の思わぬ外からきます。人生を左右するものが神であったら、と願います。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります