エズラ登場の意義

チア・シード

エズラ7:14-18   


ペルシア王キュロスの治世に、それまでバビロンに捕囚となっていたイスラエル民族は、故国に戻ることを許されました。そのままバビロンに住み着く者もいたでしょうが、多くの人々がかつての王国を再建すべく、かの地に戻ったと思われます。そして都市城壁はもちろんのこと、早速神殿を再建しました。そして過越祭を祝います。
 
国家の再生には、宗教的統一が必要だったようです。そもそもこのユダヤ教と呼ばれる宗教、かのバビロン捕囚の時に整備されたと一般的に考えられており、申命記のような重要な書を通して、民族自らの意味を再考し、民族を導いた神との関係を旧約聖書の多くの文書という形でまとめていったという理解がなされています。
 
すると、帰国後直ちに神殿を建設するというのは、当然のことであったかもしれません。こうした経緯を述べた後、7章により初めて、満を持してエズラが登場します。この書を記したとされそのタイトルにもなっている人物ですが、アロンの直系たる由緒ある家の祭司であり、当代随一の学者であったと考えられています。
 
もしかすると、この律法文化を築いた中心人物であったかもしれません。すると今後のイスラエルの宗教と文化、さらにはキリスト教へと続く信仰の流れを決定した、超重要な人物であったという可能性もあります。それほどまでに大きく取り上げた研究はあまり聞きませんが、私はこのエズラは相当に大きな役割を果たしたのではないかと見ています。
 
当時のペルシア王であったアルタクセルクスが、エズラを全面的に援助した旨がここに記されています。金銀も出そう、集まった献金も自由に持ち帰りたまえ。神殿の祭具や献げ物のために用いよ。えらく寛大な態度ですが、そうすることがペルシアにとっても得策だと思われた故のことのはずです。自立した民族が、元のカナンの地に戻るとどうなるか。
 
ペルシア側としては、自身何の金も力も今後出さずして、エジプトなど西側の国とペルシアとの間に、ひとつの壁を設けることになります。敵の攻撃の時間稼ぎとなりますし、場合によってはそれは捨て石としても機能するでしょう。交通の要所であったイスラエルの地に、安定した国を建てるがよい。宗教的に結束した民族があるがよい。
 
しかもペルシアは恩義を与えていますから、忠義を尽くしてくれることでしょう。帝国権力の思惑はそれ以上にもあったかと思いますが、ともかくエズラという、下手をするとペルシアの傀儡のブレインが、イスラエル建国の重鎮として、政治的にも精神的にも、ここから絶大な力を発揮し、歴史を築くことになるのです。


Takapan
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