キュロス王とは何者か

チア・シード

エズラ1:1-4   


エズラ記は、その冒頭から、神がキュロス王を動かして、ユダヤ人の故国への帰還が実現した、という喜びの宣言を掲げています。歴史をどう解釈するか、ということは、史実を連ねてそこから構築されていくものでしょうが、エズラ記は、まずその結論がもう決定的であるものとしている様子です。ユダヤ人にとり、歴史的価値はもう決まっているのです。
 
メディア王国を滅ぼしたキュロス王は、いわゆるアケメネス朝ペルシアを建てます。その勢いは激しく、リディアや新バビロニアといった強国を次々と倒し、西アジアに位置する広域を統一しました。研究によると、キュロス王はゾロアスター教に思い入れがあったらしい、とも言いますが、宗教的に強制をするような考えはもたなかった模様です。
 
バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちに対しても寛容政策をとり、ユダヤへ戻りたい者は帰ってよい、ということにしています。もちろん、居ついた地での生活を続ける選択も認めますし、他方でユダヤに戻ることも助けたということになります。キュロス王は、エジプトだけは支配下に置くことはできませんでしたが、空前絶後の大帝国を治めました。
 
ユダヤ人たちがこれを救世主と崇めるように喜んだことも、故無きことではありません。但し、キュロス王自身がイスラエルの神に仕えたわけではありません。そのため、神がキュロスを利用した、というような構図が考えられます。イザヤもそうでしたし、このエズラ記もそうです。しかも、エレミヤの預言までここに絡ませています。
 
各種預言者の声を統一的に解釈し、神の言葉がひとつのところを目指していることをはっきりさせているように見えます。キュロスの言葉をエズラ記は、聞いてきたかのように記していますが、果たしてこの通りにキュロス王自身が本当に口にしたのかどうか、それは分かりません。むしろ、エズラの側での解釈、悪く言えば創作であるかもしれません。
 
それでも、このユダヤ側の解釈は、どこかミュージカル仕様に、物語の流れを実によく現しているように見えて仕方がありません。ともかく歴史は、この方向で流れたといいます。聖書という文献のほかでは十分確認できないらしいのですが、イスラエルにとり最大の苦難たるバビロン捕囚は、こうしてひとつの幕を閉じました。さあ、どう解釈しますか。


Takapan
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