主の宝・聖なる国民となるために

チア・シード

出エジプト19:1-13   


エジプトを出て3か月余り、いろいろなことがありました。飲食も主が調達してくれました。行く手を妨げる敵との戦いもありました。もちろん、エジプト軍に追われた危機に始まった旅でしたが、海が分かれるという壮大な奇蹟をも体験しました。モーセのしゅうとエトロの助言の長い記事は、イスラエルの政治体制の基盤として重要なものとなりました。
 
そしていま、シナイの荒れ野に来ています。宿営したのは山の前。神に出会うには、山を登るものと見られていましたが、あるいは山からモーセが呼ばれたのかもしれません。主は「山から呼びかけられた」というのです。イスラエルに告げることをモーセに言い渡します。イスラエルを「祭司の王国、聖なる国民」とする宣言でした。神の特別な民です。
 
モーセは山から降り、「民の長老たち」にこのことを告げます。それに対して「民は皆、口をそろえて答えた」というのですから、長老から民へ伝えられ、民から長老たちを通じて返された過程は言わずもがな、と考えられているようです。「モーセは主に民の言葉を持ち帰って伝えた」といいます。主と語らうモーセの姿が思い浮かびます。
 
そうして語られた内容を民は聞いて、「いつまでもあなたを信じるようになるためである」と言われたモーセは、この後、膨大な律法を管理することになります。しかもこれがモーセの律法として、今後のイスラエルの確固たる掟となるのですから、ある意味でいまなお通用している掟として、世界史を変える実に大きな出来事となったのでした。
 
三日後に、「民の目の前で、主がシナイ山の上に降られる」のを待つべきことを、モーセは民に伝えます。但し、山に人々が勝手に登ることは禁じます。角笛が吹き鳴らされるときは、境界を超えて山に登ることは許されるとのことでしたが、結局境界を超えるな、ということになります。それに、その日大きな出来事が起きることも考えてみましょう。
 
この日、十戒の受け渡しがあったのです。でも、その事情と経緯も、なんだかよく分からない不思議さが残ります。しかしともかく「鷲の翼の上に乗せ」て運ばれたイスラエルの民が、主の声に聞き従い、契約を守るならば、主は宝の民となる、という約束が、モーセに言い渡されます。まるでキリストの救いを受けたときのようにも感じられます。


Takapan
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