モーセの歌

チア・シード

出エジプト15:1-18   


モーセの歌は、旧い歌の一つだとも言われていますが、果たしてそうでしょうか。この歌は、出エジプトの情景を雄大に描いた詩です。主がエジプト軍に対してなした大いなる業を目撃した、その感動に溢れた詩です。主に向かって歌ったものであるとして始め、主がイスラエルを永遠に治めることを称えることで閉じています。
 
この大きな出来事はイスラエルの民のアイデンティティを形成しました。詩編の中でも幾度も民の歴史の重要なエポックとして思い返されます。しかし新約聖書でステファノの殉教説教でモーセが詳しく扱われたときも、この脱出は何も言及されません。エジプトを出たという程度のことがヘブライ書でかろうじて触れられている程度です。
 
預言者にしても、殆どこの出エジプトのことが雄弁に語られることがありません。まるで知らないかのように振る舞うようにも見えます。民の歴史を振り返るなら、当然出エジプトのこの大事件をもっと楽しげに語ってもよさそうなものを、モーセが荒野を導いた点にシフトが移っているように感じられてならないのです。
 
まるで肩すかしのように、この海の割れた出来事は、案外民族の記憶から薄れてしまっています。しかし当の記事を描くこの場面では、さすがにそれがいきいきと語られています。主の力ある業が一つひとつ丁寧に記されています。エジプト軍の側の心理まで聞いてきたかのように巧みに描き、主が彼らを空しいものにしてしまう様を愉快そうに書いています。
 
主の右の手というのはその力を表すものですが、イスラエルの頼りとなるその右の手が民を守り、敵を虐げるために働きます。なんとも都合の良い神ではありませんか。弱く困っていたイスラエルの民を選び、一方的に助けるという神の着眼点を素直に信じています。他の民族もこのことを知り、震えるがいい。モーセが歌ったその内容は、奇妙なものです。
 
どうしてこの時点で、カナンの地の話が、しかもそこに住むペリシテだのエドムだのといった民族が歌えるのでしょう。これはイスラエルの民がその地に住むようになってから、さらに言えばモーセではなく、ヨシュアがヨルダン川を越えてカナンの地に侵入してからの出来事を踏まえてこそ言及できることではないでしょうか。
 
出エジプトの記事は、単なる歴史の流れの中で記録されたものではないようです。むしろこの歌の直後にある、ミリアムの歌のほうが、より簡潔にその時のイスラエルの民族の感動を直に表しているものと見なされるのも尤もです。恐らくはこのミリアムの歌を踏まえて、後のカナン侵入の正当性を表す意図を含ませたものとして、モーセの歌としたのでしょう。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります