教会はキリストの体
チア・シード
エフェソ4:1-4
「力をもってあなたがたの内なる人を強めてくださいますように。」(3:16)そして「キリストがあなたがたの心の内に住んでくださいますように。」(3:17)これに続いて、「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さ」が「人知をはるかに超えた」ものであるかを知ることができるように。それは「私たちの内に働く力によって」可能になるのです。
「ですから」とパウロはこれらの「内」への眼差しを受けて、信頼篤いエフェソの教会の人々へ勧めることがある、と言います。その内にある「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて霊による一致を保つよう熱心に努めなさい」と。この手紙は、個人の信仰生活の単なる勧めには留まりません。
「霊による一致」は、もちろん教会の一致を示します。ここで盛んに「一つ」「一つ」という語が目立ちますが、教会がひとつであるという理念に基づいているのでしょう。「十字架を通して二つのものを一つの体として神に和解させ」(2:16)たキリストは、私たちを「共に建てられ、霊における神の住まい」(2:22)としてくださったのです。
この知恵は「教会を通して」(3:10)もたらされました。一人ひとりは別々の心をもちますが、いまや「体は一つ、霊は一つ」だと認識してからこそ、「一つの希望」が与えられるのです。教会につながった者たちは、そういうところへと招かれています。あなたがたはそうやって「一つに結び合わされて」「愛の内に造り上げられてゆく」(4:16)のです。
手紙は、事ある毎に「ですから」「このようなわけで」を繰り返して論を展開しているようにも見えますが、それは次々と結論へ向けて流れているのではなく、すでに示された結論から、具体的にどうするべきかを導出しているに過ぎません。「教会はキリストの体」(1:23)というテーゼを、この手紙はとことん貫き伝えようとしているのです。