天の果てから果てまで巡っても

チア・シード

申命記4:32-40   


結論ははっきりしています。「だから今日私が命じる主の掟と戒めを守りなさい」ということです。それにより、幸せになる。長く生きることができる。主が与える地で生きる、ということは、いまキリスト者にしてみれば、神の国に生きるということではないでしょうか。もちろん申命記がそのように言っているわけではありませんが、そう聞こえます。
 
ここでモーセは、粋な説明をしています。「あなたに先立つはるか昔、神が地上に人間を創造された最初の時代に遡り、天の果てから果てまで巡って、尋ねてみるがよい」と言うのですが、i人間は誰ひとりそのようなことはできないでしょう。モーセすらできませんでした。だからこれは、神自らが人間すべてに言い渡していることに違いありません。
 
「これほど大いなることが起こったであろうか。そのようなことを聞いただろうか」と問うているのは、「火の中から語られる神の声を聞き、なお生きている」ことへの驚きを促していることです。イスラエルは実に特別扱いを受けたのです。イスラエルは、諸国民の中から、神ご自身で選び出された唯一の国民であったのです。
 
それは、「主こそ神であって、この方をおいてほかに神はいないということを示され、知るに至った」ということです。ここで神は、火の神として姿を現していることになります。火の神が先祖を選び出し、この相続地を与えました。イスラエルを選び、エジプトでの奴隷の強制という辛い環境から導き出して、自由と喜びを与えました。
 
だから「主こそ神であり、ほかに神はいないことを知って、心に留めて」おかなくてはなりません。そういうわけで、掟と戒めを守るべく促されているのです。天から聞かされた神の声は、私たちの訓練となりました。その言葉をイスラエルは、火の中から聞くこととなりました。火と聖霊で洗われることを告げた洗礼者ヨハネの言葉が思い起こされます。
 
預言者エリヤがバアルなどの預言者と対決したときに起こした奇蹟は、火で応える神によるものでした。戦争では、町を火で焼くいうのが決定的な敗北を敵に与えましたが、焼かれる方は、どんなに恐ろしかったことでしょう。神の「しるしや奇跡」、「大いなる恐るべき業」は、決して単なる過去の出来事にすぎないわけではないのです。


Takapan
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