本当にモーセは死んだのか

チア・シード

申命記34:1-8   


モーセは、主が約束した地を見渡します。その存在を一目見ました。主は確かにそれをモーセに見せました。但し、そこに渡って行くことはできない、と残酷なことを告げて。ここまで主がモーセに声をかけ、力を与え、引っ張り出して様々な苦労を背負わせ、散々悩ませたあげく、これです。今時の言い方をすると、ブラックです。
 
しかも無理にそういう立場に招き入れた野ですから、犯罪級の仕打ちです。この言い渡しに対して、モーセがどのような反応をしたのか、記者は沈黙しています。すべては謎の内に、闇の内に消されています。まさにブラックです。人間モーセは、この主の宣告にどう思い、対処したのか、知りたいとは思いませんか。
 
もちろん、この申命記がモーセによりすべて書かれたというのは無理な話ですが、しかし本当にモーセがここまで書いたとしたらどうでしょう。含蓄深いのではないでしょうか。人間は神の定めに対して、もう逆らうことはできない。そういう捉え方がここに潜んでいるように見えるからです。そして自分のために民が泣き伏したとまで書いてしまう。
 
どんな気持ちで綴ったでしょう。考えてみるだけで面白い者です。ならばまた、葬られた場所を誰も知らない、というのも尤もらしく思えてきます。想像できなかったのでしょう。モアブではあるにしても、そのどこかまで自分では決められなかったのです。アブラハム以来、人をどこに葬ったかに、イスラエルの人は大きな関心を寄せてきました。
 
だからモーセはその伝統の中にはないことになります。まさかモーセが実は死なずに生き延びていた、などという英雄伝説風な想像をする必要はないでしょうが、出エジプトの旅は、まだ気力十分なモーセの姿そのままに、モーセという人の物語は幕を閉じることとなりました。案外これは、人生の終末としてはカッコいいような気がしませんか。


Takapan
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