世にも凄惨な終末の図

チア・シード

ダニエル7:9-18   


バビロンの王ベルシャツァルの時といいますが、ダニエルの見た夢が凄い。四頭の獣が次々と登場します。これは新約の黙示録がそのままと言っていいほどに採用していて、そのことで逆に私たちはダニエル書に注目するようになったとさえ言えます。但し、神を「老いたる者」のように呼びますが、黙示録がこれを使った様子はありません。
 
その聖さが強調され、知恵が豊かなることが示されるのですが、象徴的な表現がいろいろ登場するので、それらを一つひとつ解釈できるものだとは思わないし、する必要もないように感じます。とにかくここでは、神の力や権威が余すところなく私たち人間の言葉を用いて伝え割れようとしているわけです。少しでも想像でき、把握できるように。
 
火の川は裁きを表し、この四つの獣が裁かれることが明らかとなります。ダニエルは、この中の獣が殺され火に投げ込まれるのを見ました。一部の獣は、権力こそ失いましたが、まだ滅ぼされないでいます。そこ、私たちクリスチャンから見れば、人の子はつまりイエスの姿と思うはずですが、その人の子が現れます。
 
残された人々、国々がこの方に仕えるようになり、永遠の支配下に入ります。これが神の国の到来でしょうか。さしものダニエルもこれを解釈することができず、そこに立つ者に尋ねました。獣は地上で王であるとして、しかし地上の王国は崩壊し、聖なる王国こそが永遠に続くことを知ります。預言ではあるのですが、暗いシーンが続くばかり。
 
これほどの世の終わりを思い描くためには、ただの想像力では難しくないでしょうか。確かに何らかの目撃がそこにあったものと考えても差し支えないだろうと思います。バビロンの大軍がエルサレムを破壊する様、また黙示録の記者にしてみればローマ軍の圧倒的な破壊、こうしたものへの恐怖をここに反映させているのではないでしょうか。
 
さしずめ私たちなら、原爆の悲惨さを描写するかのように、終末の絵図をなんとか言葉で表現しようとするのと比較できるかもしれません。預言者の書はそうした感覚で著されていることがあるのではないか。だから実際、筆舌尽くしがたい凄惨な事件があったことをここから推測するばかりです。その時、歴史が終わるかのように本当に思えたのです。


Takapan
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