どこかの国で実際にある場面かも

チア・シード

ダニエル3:13-18   


金の像を造っただけであればまだよかったのですが、合図と共に一斉にひれ伏してこれを拝め、という伝令を出したのはどうなのでしょう。権力者はどうしてこういう幻想を喜ぶのでしょうか。ネブカドネツァル王は、その権力をさらに強くするためにも、この命令に従わぬ者は「火の燃える炉の中に投げ込まれる」(3:6,11も)刑に処すと定めました。
 
いつの世でも、こういうことは行われます。君が代を歌わない教員は厳罰に処す、というのはどこの国の話だったでしょうか。新バビロニア帝国に連行されていたユダヤ人の秀でた者たちは、帝国のカルデア人たちから、良くは見られていなかったことでしょう。外国人を差別し排斥しようとする国は、今も幾らでもあります。自分を守って何が悪い、と。
 
特にその才覚の故に国の重要なポストに就いているユダヤ人は、見せしめの意味もあって、攻撃の的になります。ダニエル以外のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの3人が金の像を拝していないと訴えられました。ネブカドネツァルは3人に法を繰り返し言い聞かせ、火の燃える炉の中からお前たちの神が救い出すことができるものか、と嗤いました。
 
3人はそれを肯定はしませんでした。神は、炉の中から自分たちを救い出すことができる、と強く言います。「王様、あなたの手から、救い出してくださいます」というふうに言っているところにも、注目しようと思います。燃える炉から命を救うのみならず、人間的な王の権力からも自由である、と宣言しているのです。思想の自由、信教の自由の精神です。
 
さらに3人の意志は固く、「たとえそうでなくても」と続けます。命果てようとも金の像を拝みはしない、との断言です。これは、結果如何に拘わらず、主なる神への信仰の確たることを示す告白でした。おまえの神はどこにいる、と見下す者たちに対して、結果的な現象を証拠立てず、ただ信仰のみの次元で対抗したのでした。


Takapan
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