奥義と秘義が啓示されている
チア・シード
ダニエル2:19-23
バビロンの王ネブカドネツァルが、奇妙な夢を見ました。凶夢とでも言うべきか、悪い予感に襲われます。不安になった王は、夢を解けるようになるかもしれない能力ある知恵者を集めます。エジプトのヨセフが、ファラオの夢を解いたことがありました。夢の内容を聞いて、ヨセフはその意味を解きました。しかし今回は、事情が違います。
ネブカドネツァル王は、そもそも自分がどんな夢を見たのか、そこから当てろと迫ります。先に夢を話せば、適当に説明を付け加えることができるからでしょう。しかし無謀です。当てられぬなら賢者たちを皆殺しにする、と王は言います。このときバビロンへ連れられてきたイスラエルの民の中に、ダニエルという知恵ある若者が王宮に抱えられていました。
なんとかこの事態を収めることはできないでしょうか。ダニエルは少しばかり時間の猶予を求めた後、夜の幻の中で、主からその夢の秘密が開かれるのを見ました。それを受けてダニエルが祈ります。その祈りがいまここにあります。神の名を称え、また称えられるようにと先ず発し、「知恵と力は神のもの」だと告げます。
自分に与えられた知恵は、神からのものだ、と宣言するのです。私の中に生じた知恵は、私の中からのものではなく、外から来たというのです。神から、上から、与えられたのです。「闇にあるものを知り、光が御もとに宿ります」とも言うから、神は闇をも知っていることが分かります。神は光であっても、光しか知らないものではないのです。
ひとの心の中には闇もあります。ひとは闇の中に自分がいるということすら、へたをすると気づいていません。偽の光を喜ぶような者もいます。ネブカドネツァル王の見た幻あるいは夢は、その闇の極みでした。これを主は、ダニエルに余すところなく知らせました。王に言って聞かせると、王は感服します。これに勝る神はない、と思い知ります。
ダニエルは祈りの中で「今、あなたは私に知らせ/王の言葉を私たちに知らせてくださいました」と喜んでいます。キリスト者は、聖書を通して神のこころを知らされています。世にあるものの本質や、これから起こることを、知らされています。ダニエルの祈りは、遠い昔話ではなく、案外私たちがいま経験する感覚そのものであるように思えます。