地上のものを捨て新しい人を着る
チア・シード
コロサイ3:5-11
「上にあるものを求めなさい」(3:1)と言うからには、対照的に「地上のもの」(3:2)を求めるべきではないことを示していることになるでしょう。「地上の体に属するもの」を「殺してしまいなさい」と手紙は言います。具体的には「淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲」のことです。良い欲望の有無については問わないでおきましょう。
私たちも「以前このようなものの中に生きていた」のでした。聖書では、しばしばこれらを「罪」と呼びます。が、実のところこれらの根柢にあるタイプの原理的な「罪」なるものがあって、これらはイメージを豊かに抱かせるための実例であるのでしょう。そして「新しい人」は、こうした罪に死んでいるということになります。
この罪はさらに、「怒り、憤り、悪意、冒涜、口から出る恥ずべき言葉」とも挙げられています。こちらの方が、より原理に近い位置にあるように見えます。私たちの心に潜む、罪の核心にいくらか近いように思えます。「捨てなさい」と言われてはいますが、実のところ捨て去ることはできないかもしれません。
人間として、これらが本質に宿っているとすれば、離れられるものではないのです。しかし、コロサイ書の筆者は、こうした性質の「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て」ることができるかのように言い放ちます。そして「新しい人を着」ることを命じています。この「新しい人は、造り主のかたちに従ってますます新たにされ、真の知識に達する」のです。
救われるということは、こうして新しい人、またはキリストを着ることを許されるようなものです。人は人として内に存在し、それ自体が別のものに変わるのではありません。内の人は個性や人格として残るでしょう。それをキリストがすっぽりと包むという理解もきっと許されることでしょう。やがて完全なものに変えられてゆくという希望と共に。