衝撃を与える

チア・シード

使徒8:4-13   


サマリア。ソロモンの圧政に背を向け北部のイスラエル部族が連合したとき、南のエルサレム神殿から離れたため、別の礼拝所が築かれました。サマリアはさらに異民族と混交し、聖書も一部だけを用いるように変わるなど、南ユダ王国からすると純粋な信仰でないと見下される存在となった地域でした。
 
十二弟子のフィリポは、そのサマリアに行って福音を宣べ伝えたといいます。読み過ごしそうですが、大きな出来事です。なにもわざわざそんなところに行かなくても、またイエスの救いを伝えなくてもよさそうなものだからです。弟子たちはエルサレムに留まり、ユダヤ教の一部のような恰好をしていました。やがてエルサレムはユダヤ戦争で破壊されます。
 
ルカはその破壊を知っています。が、ここを執筆したときすでに破壊されていたかどうかは研究を俟つ必要があるでしょう。それでもエルサレムは弟子たちにとり唯一絶対の場ではなくなってきています。当初はユダヤ教の一部であっても、ルカの時期にはそこから分かれつつありました。イエス・キリスト中心の信仰へ移りつつあったものと思われます。
 
むしろ祭司たちが幅を利かすエルサレムよりは、周辺や異邦の地へ関心が向かっていたとしても十分理解できます。フィリポは、エチオピアの役人の前に現れるなどその向きで神秘的な働きを担いましたが、ユダヤ人から毛嫌いされていたサマリア人へ福音をもたらすのは大変だったことでしょう。町の人々をその衝撃的な業を見て大いに喜んだそうです。
 
癒しの業は、人々の心を神に向かわせる意義もありますが、その現象のみに目を奪わせる危険も伴います。シモンという人物が魔術を行っていたそうですが、医療行為であるかもしれません。古代のこと、科学的に説明ができる治療は少なかったはずで、理由の自覚しに何かしら治癒の知恵を働かせていたのかもしれません。今も神の力などと言うことがありますし。
 
自らを偉い者であるかのように言いふらしていたというのですから、傍から見れば滑稽ですが、今でもこんなのはいろいろいますね。シモンなる者はよくいます。しかし福音は、人々から本来の信頼を集めます。フィリポの伝えた神の支配は、人々を変えます。このシモンまでも巻き込んで回心させます。但し、シモンは金で力を得ようとして失敗するのでした。


Takapan
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