教会の命懸けの主張

チア・シード

使徒7:44-53   


教会の事務担当者として七人の有力者を選び、うち一人のステファノは、「恵みと力に満ち」(6:8)ていました。ユダヤ人以外から妬みが起こったのか、「あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」(6:11)と人々を唆して言わせたため、ステファノは最高法院へ引いて行かれます。そこでステファノは、弁明をする機会を与えられました。
 
アブラハムから説き起こしたこのステファノの説教と呼ばれるものは、このままに本当に語られたのかどうかは別として、初期教会の主張であることは間違いないでしょう。教会がどういう信仰をもっていたのか。但し、イエス・キリストか何をどうしたのか、という点についてはパウロに語らせることにして、ステファノは旧約の理解を語っています。
 
ここではモーセが大きな比重を占めます。モーセへの冒涜が訴えられているからでしょうが、ユダヤ教を引き継ぐキリスト教としては、モーセの扱い方、つまり律法の受け止め方が重要な位置にありました。さあ、そしていま聞いた聖書は、そのステファノの主張のラストのところです。ダビデが、そしてソロモンが、エルサレム神殿を実現しました。
 
とはいえ、神が実際にこの神殿の中に住んでいる、というわけではありません。そもそも主が、世界の凡ゆるものを創造したのであって、その被造物の中に神が住むという発想自体がおかしいものです。旧約のまとめはここで急に終わり、教会の主張は直ちに現在のユダヤ人に矛先を向けます。「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」と。
 
ユダヤ人たちは「いつも聖霊に逆らっている」のであり、預言者を悉く迫害したと言います。「正しい方が来られることを前もって告げた人々を殺し」、ついにイエスを「裏切る者、殺す者となった」のでした。律法をも守らなかったのは、ユダヤ人の方だ。ステファノはこの後、殺されます。教会は、命を懸けてこのようなことを主張し続けていたのです。


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