悩める疎外者たちのために

チア・シード

使徒5:12-16   


一方で、一日に三千人が仲間に加わるかと思えば、民衆は誰一人仲間に加わろうとしなかった、などとも書いてきます。ルカの筆致はあまりに気分的であるようにも見えますが、どちらも真実なのかもしれません。人は近づきにくかったことでしょう。けれども、やがて大きなうねりとなって信仰者が増えていったのも確かなのです。
 
使徒たちを中心とするグループは、どちらにしても同様に一つとなっているだけのことです。ソロモンの回廊は、神殿の中でも比較的自由に通行できた場所だと言われています。そこで演説ができたかもしれません。使徒たちの信仰ぶりについて民衆は称賛の姿勢を示したらしいのです。伝道はある程度は手応えがあったということでしょうか。
 
でも回廊のその場で次々と弟子が増えたというのではないと想像します。後から、他の人の目を憚りながら、そっと近づいて言った、というふうに私は思い描いています。ペトロの影がかかるだけでも病人を癒やす力が注がれるなどとの噂もあったとか。それで藁にも縋る思いで、病人を連れてきたという話も付け加えられています。
 
エルサレムのみならず、周辺の町からも、病人が、また汚れた霊に悩まされている者たちが連れられて来たのです。一人残らず癒やされた、本当でしょうか。一つのレトリックとして受け止めても、決して不信仰だとは見なされないものとご容赦戴きたいものです。聖書では、「すべての人が」などという書き方が普通だからです。
 
エルサレム付近の町からも来たというのは、その人たちはエルサレムに入れてもらえなかったのかもしれません。疎外された人々、清いと見なされなかった人々、それはエルサレムからは追放扱いだったわけです。汚れた霊に冒された人たちは、エルサレム市内からは来ていないのです。岩場に縛られていた狂人扱いの人もいましたね。
 
社会から排除され、人間として扱われなかった人たち。イエスはそこに近づき、そして癒やしました。社会復帰を可能にしたのです。弟子たちの時代になっても、その働きは本質的に継続されたとみてよいでしょう。イエスの何をどう受け継ぐか、弟子たちの中に知恵が与えられ、霊に動かされ、疎外された人々の味方になったものと思われます。
 
というよりも、イエスが共に働いていた、と言ったほうがよいでしょうか。現実の病のためにも、また人の社会における不当な差別や排除から、人々を救うために、それをモットーとしたイエスが共にいて力をくれたのです。それで、多くのしるしと不思議な業が現れました。神が共にいて、惨めにされた人々を救いへと招いたのです。


Takapan
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