驚くべき信仰

チア・シード

使徒3:1-10   


生まれつき足の不自由な男を、日々「美しい門」へ運ぶ者たちがいました。自分ひとりでは歩けないこの男も、生きているので、なんとか食い扶持を稼がなければなりません。いえ、稼ぐことが当時はできたのです。施しです。施すことは、神に祝福される重要な方法なので、一般の人々も、施すことが当然という理解があったのでした。
 
イスラムの世界では、今もなお、喜捨は救いのために必要な徳のひとつに挙げられていたと思います。予め教義の中にセットされているので、人は堂々と、施しをします。イスラムの知恵でしょうが、キリストの弟子たち、新約聖書の徒たちも同様でした。ユダヤ教社会でも恐らく、障害ある人に施すというのは当然のことだったと思われます。
 
障害があっても、それなりに生活していく必要があります。しかし、協力者たちがいなければなりません。施してもらえるように人通りの多いところ、とくに神殿付近などは一番です。人々は、神がこれを見ていると思いつつ、積極的に施したことでしょう。時に、人目につくように施すというのも、実は常態であったのではないかという気がします。
 
そこへ連れて行く協力者。相応しい場所へ運ぶ、恐らく複数の協力者。その人の近親者が助けてくれたのでしょうか。それともこうした人を運ぶ、公務の仕事があったのでしょうか。福祉員みたいな。あるいは、施しとして集まった額のいくらかを貰い受ける、契約としての労働だったのでしょうか。私は知りませんが、とにかく施されるのが生業でした。
 
神の祝福あれと称えることで、施す人に快さを与える役割が、施される側にはありました。施す方も人前でいい恰好ができます。互いに持ちつ持たれつの関係で、障害者もまた社会のバランスの中にあったはずで、必ずしも弱者で見下されるだけの可哀相な人々だというだけの目で見る必要はないように私は思うのですが、どうでしょうか。
 
ひとは、逞しくそれぞれに生きる道を見出していくとすれば、そして聖書でもこうした記事が何度も出てくるとすれば、一定の社会機構の中での出来事だと見るのが自然だと考えるのです。健常者と同じ仕事ができないケースも少なくなかったでしょうから、こうして施され、祝福を与える、そうした「仕事」に就いていた男だと考えてみます。
 
ところがここで、ペトロとヨハネが現れます。男は、施しをもらえるかどうかという目で二人を見つめていただけでした。ですから、二人がうっかり男を立ち上がらせ歩けるように癒してしまったことは、いうなればお節介でした。男はそんなこと、求めてもいなかったのです。こうして、男にとってはこれまでの生活が一変する事件となりました。
 
これから男は、自力で稼いで生活していかなければならなくなります。しかし、その方法はあるのでしょうか。考えてみれば、それは全くの未知数のはず。しかし、この男は突然降って湧いたこの立てるようになったことで、神を賛美し、躍り回ります。この男の信仰こそ、実は最も驚くべきものだったのではないでしょうか。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります