どう「見る」のか

チア・シード

使徒3:1-10   


語順としては「銀金は私にはない」となっています。旧約聖書を含め、聖書では金と銀が並ぶとき、殆ど銀が先になっています。理由はよく分かりません。これを邦訳にするときにどうするのか、翻訳方針として悩むところです。岩波訳やフランシスコ会訳は原典どおり銀を先にしています。
 
世では銀金があればなんでも手に入ります。すべてのものの価値をこれで計ります。しかしペトロとヨハネがもっているのは、イエス・キリストの名だけでした。それを「与える」とはっきり宣言しています。与えれば歩けるのです。「立ち上がり」の句は写本上の問題で新しい訳では訳出しない傾向にあります。
 
ペトロとヨハネは、ユダヤ教の祈りの決まりに従って行動しています。ナザレ派に対するユダヤ教側の圧力が後に高まりますが、ルカ執筆期にも何らかあったことでしょう。また十字架直後、弟子たちにとり神殿に姿を現すというのは、危険なことであったはずです。弟子たちは、ユダヤ教の新たな展開だという見方さえまだできていない頃でした。
 
二人が出会ったのは、母の胎の内から歩くことのできなかった男でした。こうした患者はどういうわけか男ばかりです。女は病人か死人であり、身体の不自由さから社会的な立場を取り戻す癒しは男に相応しいのでしょうか。男が求めていたのは、施しでした。他の盲人が見えることを望んだのとは違い、歩けるようになることなど夢想だにしませんでした。
 
ペトロとヨハネは二人して、この男を特別な存在として見つめました。男の本質を見抜こうと目を注いでいました。それから口をついて出たのは「私たちを見よ」でした。注意深く、魂の中まで見て悟れ、とでも言う様子でしょうか。男が二人を「見た」(3節)、二人が男を「見た」(4節)、私たちを「見よ」(4節)はすべて異なる語です。
 
さらに、男は何かもらえるのかと期待して二人を「見つめた」(5節)のもまた異なります。この語は聖書でも5回しか現れない珍しい語で、目を注ぐこと、注意を向けるような意味合いを持ちます。このあたりを、邦訳で同じ「見」で片づけてしまうのは惜しいものです。イエスの名が力を発揮する前段階として、互いに様々な見方が成立し、交わされていたのです。
 
「美しい門」にこの男はいつもいたとわざわざ記されています。これは視覚的な名前です。多重的な「見る」が、この場面を彩っています。最後に民衆が、男が歩き回り神を賛美しているのを「見た」(9節)のは、初めに男が二人を「見た」(3節)のと同じ、一般的な語でした。ひどく驚きたまげた人々でしたが、これは心に刺さり信を導くような目撃ではなかったのでしょう。私たちは、どのように聖書を「見」ているでしょうか。


Takapan
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