受け継がれてきたパン裂き

チア・シード

使徒2:41-47   


聖霊が降り、ペトロが説教をして、その日に3000人ほどが仲間に加わった。その後一同は、使徒達の教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。このようにルカは記します。このことがまた周りへ拡がっていったのです。続けてまたルカは、彼らの生活がどう周りに見られていたかを綴ります。
 
その列挙の中の、財産の共有、つまり私たちがよく言う原始共産制に、多くの人が注目します。その共産制に反する行為がこの後で大事件となったことまで書かれているわけですが、かつてプラトンが理想国家を描いていたことを踏まえてルカは書いたのだ、などとは考えにくいのですが、人類の社会概念の理想がこのように描かれていることは興味深いものです。
 
しかしいま目を向けるのは、彼らがしていたことのうち、パンを裂くことです。42節と46節に具体的に挙げられているその行為のうち、パン裂きだけが二度繰り返されているのです。祈ることでさえ賛美へと表現を変えられていますから、全く同じことが繰り返されるのはパン裂きだけなのです。そして、これだけが異様です。
 
他の行為は、誰がここを読んでも、何をしていたかその意味は分かります。しかし、このパン裂きという用語は日常生活に馴染みがありません。聖書を初めて読んだ人は、ほかのことは理解できるでしょうが、パン裂きとは何だ、と思うに違いないと思います。これだけは解説が必要です。しかもわざわざ二度も書かれているのです。
 
これぞ私たちの言うところの聖餐のことだ、と思うしかないようですが、その儀式というよりも日常的な食事のようにも見えます。共に食するということは仲間意識の中での行為であり、身分や民族が違えば食事の同席はできませんでした。社会的地位がどうであれ、キリストを主と仰ぐ者は一つに集まり、上下の差異のないままに食事を共にしていたのです。
 
さらにパン裂きが儀式であるとすると、もちろんイエスがこのようにしなさいと教えたもので、福音書成立以前にすでにパウロの手紙の中にも描かれていました。教会は初期から受け継いで実行していたはでず。キリスト者はイエスの肉を受ける信仰を早々に立ち上げ、厭きることなく2000年にわたり続けてきたのです。いま私たちも、また。


Takapan
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