風の音と炎の舌と他国の言葉

チア・シード

使徒2:1-13   


「五旬祭の日が来」ました。イエスが天に挙げられてから十日後のことです。この十日の間に、皆「ひたすら祈りをしていた」のですが、「百二十人ほどのきょうだいたちが集まっていた」とき、ペトロがユダの末路について語りました。ユダの分が欠員となったので、補うくじ引きが行われます。祭りには、他所から人々がエルサレムに集まります。
 
そこで騒動が起こります。物音を聞いて人々が覗き込むほどですから、弟子たちは殊更に隠れていたようには見えません。それは「突然」のことでした。「激しい風が吹いて来るような音が天から起」こります。「風」と「霊」とは、原語が同じです。聖霊は、まず聴覚を奪いました。仲間達は、座っています。その家中に大きな音が響きます。
 
それから、視覚的に炎のような下が現れました。音も、見える現象も、たとえで表現されています。「舌のような炎」ではありません。「炎のような舌」と言われています。それが「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」のでした。言葉だけで表現するというのは難しいものです。黙示録などは、その最たるものです。
 
これを書き記した人の語を以て、元の現象を想像するというのでは、出来事そのものが把握できるようには思えません。ともかくそれは、一人ひとりに与えられるかのように現れ、働いたのです。「一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」といいます。パウロが「異言」と呼んだものもこれと同じなのでしょうか。
 
このような不思議な現象を、いまなお受け継ぐ教団があります。パウロもむしろそれがあることは肯定していました。エルサレムに集っていた様々な人が、「生まれ故郷の言葉を聞く」こととなりました。しかもそれが、「神の偉大な業を語っている」ということも了解しています。つまり、何かしら意味が通じていたらしいことが分かります。
 
「人々は皆、驚き、戸惑い」ながら、これは酔っ払ってのことなのか、と互いに顔を見合わせていました。教会の誕生とも称される、ペンテコステの日の出来事には、このようにそこを覗いた人の嘲りの言葉さえ混じっていました。現代の教会は、このようには嘲られはしないようですが、もっと人々を戸惑い驚かせる現象があってよいかもしれません。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります