証しすべきはキリスト

チア・シード

使徒26:19-23   


パウロは暗殺されそうになりましたが、保護されて、ローマの手中に入りました。総督フェリクスのところへ護送されると、パウロはその前で弁明をしなくてはならなくなります。フェリクスは、キリスト教のことをわりと詳しく知っていたといいます。それだけに、パウロの語る神の計画に心落ち着かなくなったらしく、とうとう2年間そのままでした。   つまりパウロを、処罰するでなく、釈放するでなく、曖昧なままに捕らえ続けてきた、ということです。後任者としてフェストゥスが着任し、パウロから事情を訊こうとしますが、結局パウロは皇帝に上訴することを選びます。ローマ帝国は、法の分野では現代にも通用するほど整ったものをもっていました。法的には厳格な仕組みをもっていたのです。   フェストゥスの元を訪ねた、ユダヤの統治者アグリッパ王と妹ベルニケ(この女性は調べるとなかなかお騒がせの人物です)の前に出されたパウロは、弁明の機会を与えられました。パウロは、ファリサイ派の一員としての自らの過去から、ダマスコ途上での回心の出来事を語ります。そして今、アグリッパ王に向けて呼びかけます。   ユダヤ教を知る王に、「悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように」言ったことで、訴えられ殺されそうになったことを告げました。モーセや預言者、そしてメシアという存在を短くつないで、パウロの拠って立つところを伝えたのです。そのように、相手が誰であれ、キリストを証しする者でありたいと願います。   「私は今日まで神の助けをいただいて、しっかりと立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきました」とはっきりパウロは言っています。私たちもそう言えるようになりたい、と思います。パウロが口にしたのは、「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと」だけであるといいます。聖書が言っていることに、従うのです。   聖書が語ること以上のことに走れば、余計な解釈となります。それは私たち自身の内から出たものです。神からではなく、人から出たものです。そして恐らくは、悪魔から出たものです。キリストは「苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる」と、私も繰り返し告げ知らせましょう。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります