パウロの遺言は私たち宛でもある

チア・シード

使徒20:25-32   


ミレトスからパウロは、エルサレムへ戻ろうとしています。ギリシアを巡ってきた旅を終え、ユダヤへ還る時が来たのです。そこからエフェソまでは、比較的近距離でした。この旅の前半で寄ったエフェソには、パウロにとり長く滞在した場所であり、より深い親交があったとも思われます。パウロこそが福音を初めてその町へ伝えた可能性もありますから、もう一度会いたいという思いが生まれても不思議ではないでしょう。
 
エフェソの教会の長老たちと会いたい。それは、もう地上にて会うことはこの後ないだろうという、今生の別れを意識してのことだったでしょう。遣いを出して、パウロの許に呼び寄せる形をとりましたが、おそらく50kmはあるだろうその距離を厭わず、長老たちはやってきました。そのこと自体に、パウロとエフェソ教会との信頼関係が偲ばれます。
 
そのエフェソ教会へのパウロのいわば遺言は、現代の私たちへも届けられているものと受け止めるほかありません。パウロは神の国への道を伝えました。アーメン。伝えることを怠りはしなかった。アーメン。神の教会の魂の世話をすべし。パウロの名による牧会書簡が後に書かれたのは、この遺言を下敷きにして展開したものだと理解することができそうです。
 
パウロの後の時代、特に異邦人が中心となる教会の中へ、このメッセージが必要になったと言えましょう。具体的な事柄への適用も求められ、このパウロのスピリットによって助言し、支えることが必要となったに違いありません。今後迫害が起こります。内部から異端が生じます。教会を破壊する者さえ出てきます。
 
ルカは、その事実をすでに知っています。パウロの口にそれを乗せたのも当然です。しかし、イエスの「目を覚ましていなさい」とのことばをここに重ねることによって、より真実味を帯びて響いてくるものと受け止めるべきです。私たちに必要なメッセージがここにあります。と同時に、結局私たちは、神のことばに、神の力に、こうした人々を委ねることしかできないことをも知ります。神のことばの重みを改めて知る思いです。


Takapan
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