復活の証人になるべき者
チア・シード
使徒1:12-26
イエスの昇天が記されました。ぼうっとそれを見上げていた弟子たちは、天使に促されるかのようにして、エルサレムに戻りました。オリーブ畑から戻ったとされていますが、イエスの昇天の場所は、エルサレム近くのオリーブ山であると考えられています。そこは「安息日にも歩くことが許される距離」にありました。そういう規定があったのです。
だとすれば、これは極めて人間的な数値だと言わざるを得ません。イエスが安息日に人を癒やしたという記事は、それを律法学者やファリサイ派の人々が見咎めていたとよく書かれていますが、この距離規定の内で行動していたのです。使徒たちもこの規定に従って、オリーブ山に集まっていたということになります。律法は基本的に守るべきものでした。
エルサレムを離れるな、とルカ伝のイエスは命じていましたから、彼らはガリラヤに戻りはしませんでした。そこからさらに世界へと福音を拡大させてゆきます。「泊まっていた家」があったことが分かりますし、その「上の階」が、弟子たちと「女たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たち」の集会所であった、ということまで明らかになります。
マリアとイエスの兄弟たちの存在は、カトリックの側ではいろいろ注釈を付けなくてはならないでしょうが、プロテスタントは字義通りの理解をします。「その頃、百二十人ほどのきょうだいたちが集まっていた」場所は、そことはまた違うでしょう。なかなかの大広間か、集会所であったに違いありません。ペトロが立ち上がります。行動を起こすのです。
話題は、ユダ。マタイ伝との相違の理由は分かりませんが、こちらは十二という数の欠けたことを気にします。「十一人の使徒たちに加えられた」のは、神の意志を示す「くじ」によるマティアでした。但しその活躍は一切不明です。十二人いることになって、「主の復活の証人」が完成します。私たちも、誰もがマティアであるよう期待されています。