共同体の謎

チア・シード

使徒1:12-26   


イエスの昇天後、何が起こったでしょう。とりとめもなく、突っ込みどころの多い叙述ですが、そう拘泥せず拾い上げてみましょう。まず使徒たちは、エルサレムに戻ってきています。40日目は安息日ではなかったけれども、安息日規定にルカは触れています。歩いてよい距離の説明は何故なのでしょう。ベタニアがその昇天の地でした(ルカ24:50)。
 
次に彼らは、祈りの生活をしていました。心を合わせてというのは、集まっていたという意味になるでしょうか。出家して共同体を形成していたという場合もあったのでしょうか。そこまでいくと、大がかりな施設なり経済基盤が必要になりますが、主だった人々は離れず暮らしていた可能性はあるかもしれません。
 
それからペトロが発言します。ユダが欠けた分、使徒たちは12人ではなくなっていますどうしても12人が必要だと考えています。他の福音書記者たちは11人のまま放置した恰好で物語を進めて福音書を終えていますが、ルカはその後の弟子たちの信仰生活や宣教の出来事をここから続けて描く上で、どうしてもこの数の問題を避けて通ることができませんでした。
 
いまこそイスラエルの再興の時なのか、と弟子たちは、昇天直前のイエスに尋ねていました。ルカも、このイスラエルの十二部族の復興というものが頭にあったのかもしれません。しかしながら、このルカが旅に同行したパウロは、これとは別に「使徒」という称号を自ら使用しています。14章ではルカ自らパウロをバルナバと共に使徒と呼んでいます。
 
ルカはパウロの主張を受け容れていたのでした。こうしてせっかくマティアを加えて12人にしたのに、パウロがさらに加わったというのは少し疑念が残ります。でも、多くの場面では、パウロと使徒たちとを対立させ、なかなか和合しなかったことが描かれていますから、この問題は微妙な要素を含んでいると言えるかもしれません。
 
ユダの最期についてもペトロは触れています。マタイの証言とこの2つの説があることになります。旧約を多く引用するマタイですが、ここではルカも負けじとばかりに旧約を引用して、ユダの事件が聖書的に根拠があるということを熱心に伝えようとしています。そうして旧約規定の12という数に、使徒の数を揃えようと躍起になっているように見えます。
 
使徒とは、イエスの宣教生活を共にし、復活の証人でなければならないとしています。こうなると、14章でパウロを使徒と呼んでいる根拠が曖昧になります。もしかすると旅を共にしたルカは、その場でパウロを十分に受け容れていたのではないでしょうか。他方、エルサレム教会の建前、使徒とはパウロでない人々だ、とも記したのかもしれません。
 
最後にマティアがユダの代わりとなったとし、その裏付けのためのユダの記事だったことが分かります。しかしその後のマティアについては全く光が当たりません。そればかり対抗馬のヨセフのほうが、名前を3つも呼ばれ重大人物であるかのように扱われています。後の教会にこの人物、何か関係があったのでしょうか。このように謎だらけのひとこまです。


Takapan
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