躓いたのは復活なのだろうか

チア・シード

使徒17:22-31   


パウロはアレオパゴスの真ん中に立って言った。このときパウロは憤っていました。アテネに乗り込んだのはよかったけれども、そこには偶像が居並んでいました。哲学者と記録されていますが、エピクロス派やストア派だといいますから、確かに歴史に裏打ちされています。この辺りの状況説明には十分な信憑性があると言えるでしょう。
 
理屈を耳にする野は、自由市民にとっての愉しみであったことでしょう。パウロはしかし、置かれた状況が四面楚歌であることは分かっています。当たりは柔らかく、そっと包むように話します。でも、キリストや神にについて、要所は外すことができません。いきなりユダヤ文化を知る者に対して話すのとは訳が違うのです。
 
この方針は、日本で神を伝えるのに、一つのモデルとしてかつて考えられていました。神についての一般的な抑えどころから入ります。八百万の神を拝む人々に対して、「知られざる神に」をといった形で、究極の神を見いだしていくというのは、有効な方法ではないかと考えられており、また勧められていました。
 
多くの伝道者がこれを試みましたが。果たしてこれが有効だったでしょうか。何ひとつ変わらなかったのではないでしょうか。そもそこのパウロのアテネ説教自体、人々の心を掴むことはできませんでした。ある意味で惨敗です。パウロは屈辱を味わったかもしれません。理論的に神の全能性や偉大さを語ったまでは、確かに聞いてもらえたかもしれません。
 
また、創造神という考え方も、ギリシアにはありました。デミウルゴスとしう造物主がプラトンの『ティマイオス』に登場します。後の新プラトン哲学で強調され、キリスト教サイドから、聖書を裏付けるひとつの説として重宝がられました。しかし、デミウルゴスは決して最高神ではありません。この世は不完全なものでしかないからです。
 
ギリシア人には創造神までは許容できたのです。けれども、復活がいけなかった。ここでギリシア人たちの緊張の糸が切れた。普通、そのように考えられて今するけれども、その前に予兆はありました。パウロが、悔い改めよ、と言ったときです。悔い改めと裁きという一連の過程が、ギリシア人に一線を引かせたのではないでしょうか。
 
いわば、神と人間という世界の「当事者」になるように促すのが、悔い改めというものです。物語ではなく、あなたが神の前にいて、神との関係を修復するのだよ、というのです。これがギリシア人を退かせたような気がしてなりません。日本でも同じです。死者の復活が信じられないというのは一つの口実です。自分が神の前に立つとは考えたくないのです。


Takapan
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