キリスト者の歴史が大きく変わる

チア・シード

使徒11:19-26   


ヘブライストとヘレニスト。簡単にそう言ってよいかどうか分かりませんが、元来ヘブライストへ向けての福音が、異邦人へと開かれようとしている時期のことです。ペトロがコルネリウスの一件で異邦人の救いに目覚めたものの、大方のユダヤ人の弟子は、ユダヤ人相手に専ら福音を伝えていました。
 
ステファノの殉教は迫害を生んだようです。辛いことですが、これはキリストの福音が世界へ拡大する発端となりました。ギリシア語のネイティヴであるが信仰心はユダヤ人であるような人々、つまり旧約聖書について知っている人々へ、イエスが主であるという知らせを語り伝えることになるのです。
 
処はアンティオキア。紀元前64年からシリア州のローマ総督府でありました。ここが、キリスト教会にの拠点となることが使徒言行録から窺えます。エルサレムにもしばらく教会は残るのですが、異邦人へ伝道する際にはアンティオキアが拠点となります。
 
エルサレムからバルナバが遣わされます。相当な才覚のあった人物であったと思われます。聖霊と信仰に満ちていたと評価されていますし、原語としては「よい人」とされながらも、邦訳はこぞって「立派な人物」と訳す対象です。バルナバはサウロと会うためにダマスコへ赴き、それからパウロの伝道旅行で行動を共にするようになります。
 
パウロをアンティオキアに導き、共に学びました。一年間アンティオキア教会で一緒にしたと新共同訳は示していますが、他の邦訳では「集う」という語で表しています。共に礼拝をし、恐らくは語ることもしたことでしょう。少なくとも、何らかの奉仕者として活動していたはずです。語は「共に導く」のような構成なのですから。
 
この時期に、それまで「弟子たち」とのみ表現されていた人々が、「キリスト者」と呼ばれるようになりました。クリスティアノス、という響きはもちろん今のクリスチャンそのものです。キリストにつくもの、キリストマニア、実のところローマ史料にもあるくらいで、蔑称と言うに相応しい呼び名でした。プロテスタントという語も、相手方からの蔑称でした。プロテスタントのクリスチャンは、とことん蔑まされた「名」を受けて、尊いイエスの「名」を掲げていることになります。


Takapan
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